「こんなうつわをつくりたい、はこんな風に生きたいに繋がる」三好敦子さんに会いに秩父へ。
二日間お休みをいただき、新緑の秩父、長瀞町へ行ってきました。目的は平沼秀祐さん、三好敦子さんご夫妻の工房訪問。
三好敦子さんとは今年の春、益子の陶器市で出会いました。偶然ブースの近くを通りかかり、かなり遠目からだったのにも関わらずパパろばの視界の端に白い飯椀の美しい稜線がひっかかってしまったようで「ちょっと見て行っていい?」といきなりスタスタとわたしたちから離れてゆきました。さすが飯椀ハンター。いったい何個持っているんだか…。その時は奥様の敦子さんだけがブースにいらして「それは旦那さんの作品なんです」と言われましたが、奥にあった敦子さんの作品も見せてくださり、パパろばもわたしもいっぺんで惚れ込んでしまったのでした。
ご夫婦の作品を同時に、しかもわたしたち二人ともが瞬時に揃って気に入るなんてこと、なかなかに珍しいと思います。夫婦でひとつの作品を作っているわけではなくそれぞれ個性が違う別の人間が作っているわけですから当たり前ですよね。わたしとパパろばの両方が第一印象で気に入る、ということも実は稀なんです。時間差で「最初はそうでもなかったけど使えば使うほどよくなってきた」「でしょ?でしょ?(だろう?)」ということならままあるのですが。今回のように何の前情報もなく、まったく先入観なしに純粋に作品が引き寄せてくれた出会いというのは、なんとなく嬉しくなりますよね。偶然とはいえ、ご縁に感謝するしかありません。
その時はそこにあったお二人の作品だけを少量ずつ買わせていただき、ご実家の体験工房が繁忙期で陶器市には来れなかったという秀祐さんにはいつか改めてご挨拶させてください、と約束して帰ってきたのでした。一度もお話しせずに作品だけお店に置く、ということは通常では考えられません。そういうわけで、新緑の秩父散策という小旅行が実現したのです。
秀祐さんのご実家は埼玉県秩父郡長瀞町。長瀞って、なんて読むかわかりますか?わたしは読めませんでした。検索すると「ながとろ」と読むことがわかりびっくり。さんずいに静かと書いて「とろ」。不思議です。他に何かこの漢字を使う単語があるのだろうか…?急流の長瀞川がライン下りで有名なのですね。観光にあてる予定だった翌日は大雨で体験できませんでしたが。
県道から急な坂道の山道を上り、家もまばらな森の奥にご自宅兼工房がありました。長瀞町のお隣、秩父市の黒谷という場所で和同開珎で有名なところです。避暑地の別荘といった雰囲気で、樹の葉がこすれ合う音以外何も聞こえない静かな土地。空気も澄んでいて、先ほどまでいた県道のあたりとは気温も違います。こんなに外部から遮断された静かな場所なら、制作活動もはかどりそうです。
前オーナーが亡くなり空き家となっていたところを、その人が趣味で陶芸をやっていたために残された陶芸グッズを引き取って欲しいと秀祐さんのご実家の工房に連絡があり、粘土や道具を取りに来た時に「実は家も売りたくて」と相談を受けたという信じられないようなお話。居間と隣接してろくろ小屋まであり、そこで敦子さんは制作活動をしています。
お二人が出会ったのは愛知県常滑市。とこなめ陶の森 陶芸研究所でした。敦子さんは研究所を出た後もしばらく常滑で制作活動を続けていましたが、秀祐さんは卒所後すぐにご実家の体験工房を手伝いに故郷へ戻り、2年前敦子さんも常滑を引き払ってここに越してきて、昨年ご結婚されたということでした。
「ここにいると誰にも会わず、誰とも喋らずに何週間も過ぎてしまいます。引きこもりのようです」
…って、いや、旦那様の秀祐さんは毎日帰ってくるでしょうに(笑)。
敦子さんは神奈川育ち。意外にもずっと体育会系だったそうで、高校時代はがっちりソフトボール部に入ってインターハイを目指していたそう。そこから無縁だった美術系の大学に進むとは自分でもびっくりの顛末だったそうで、絵も描けないし進路を決めたのは3年になってからだし…と。それでも武蔵野美術大学に入学してしまうんだからすごいですが、大学では陶芸を専攻して基礎的なことは学んだものの、もっと深く学び直したいと研究所に入りそこで秀祐さんと出会ったというわけです。
「はじめは、もっとシュッとしたデザイン寄りの作品を作っていたんです。大学にいるころは基礎的な技術を学ぶことで手いっぱいで、素材のことまで興味を持つ余裕はありませんでした。その後ふとした時に粘土屋さんで買ってくるビニール袋に包まれた奇麗な状態の土と、足元に在る小石や根っこがあったり、虫がいたりする土との間のギャップが気になるようになってしまったんです。土づくりや灰づくり、窯のことなど、ものづくりのもっと奥の部分を知りたいと思うようになっていきました。」
そう思えるようになったのは、研究所で原土から土づくりをする授業を経験したことが大きかったからだと、わたしたちがつくばに帰ってきてから質問に答える形で話してくれました。
「常滑では作家さんが周りに沢山いて、色々なものづくりの現場を見せてもらい、沢山話も聞かせていただきました。常滑にいた4年間は、技術や知識をある程度身につけたあとに、自分がどうしたいのか、なにをつくりたいのかを真剣に考え、手を動かし、いろんな人と関わる中で自分軸のようなものをつくる時間だったと思います。その時間があったからこそ、いま秩父にいても、一人でも、手を動かしていられるのだと思います。」と、敦子さんは振り返ります。あっという間の4年間だったけれど、自分にとってはとても大きな時間だったのだと。
「どんどんシンプルで原初的なものに惹かれるようになっていって…」と、大きな窓から木漏れ日が沢山差し込む心地よいリビングで、ポツリポツリと少しずつお話ししてくれました。常滑で薪窯の仕事を見たり研究所でも薪窯研修があり「いつかは薪窯で」という憧れもあるようです。
「自分が暮らしているところの土を掘ってきて使えたら一番いいなあ、という思いはあります。一度近所のおばあちゃんが「うちの土使えるんじゃないか」と声をかけてくださり、そこの土でテストしてみたこともあるんです。その土は耐火度が足りず素地には使えませんでしたが、鉄釉のような釉薬に使うことはできました。現状としてはこれまでご縁のあった常滑の土や瑞浪の原料屋さんの土を使っていますが、そのうちに他の場所の土も試してみたいと思っています。
現在釉薬に使っている土灰釉は秀祐さんのご実家の薪ストーブで出る灰から作っているそうで、翌日体験工房に行った際、工房の入り口の脇に灰の塊が干してありました。
やや口下手な敦子さん。人づきあいはあまり得意ではなさそうです。「俺と気が合う気がする」とパパろばが後で言っていました。パパろばは動物のような直感の持ち主ですぐに同類を見つけ出すんです。臭いでわかるのかしら?と思うくらい(笑)。
「ここで暮らすことができて本当にラッキーでした。お家もそうですが、すでに窯や設備が揃っているだなんて、なかなかない状況だと思います。そして何よりここは本当に静か。何も考えず制作に集中できます。」そう話す姿も少しはにかみ気味でした。
いつものことなのですが、わたしの主観ばかりで敦子さんの人となりが今一つ伝わらないなあ、と思って「簡単でいいのでどんなうつわが作りたいか教えてください」とメッセージしてみたところ、とても敦子さんらしいお返事が返ってきました。きっとものすごく考えて書いてくださったのだと思います。
『土や灰、素材の気配を感じられる質感と、自分の思う美しさを問い続けながらかたちづくることを大切に日々制作しています。 自分が好いと思える うつわをつくりたいと思っています。』と、お客様にはこの『』内の言葉だけお伝えいただければいいです、と書いてあったのですがそれ以外の部分の方が敦子さんらしいので敦子さんには申し訳ないけれど勝手に引用(ごめんなさい、敦子さん)。
「原土や自然灰を使う意味だったり、好きな作家さんのものだったり、細かい枝葉のことをあげるとキリがなく、こんなうつわをつくりたい、は私にとってこんな風に生きたいに繋がっていたりもして、 色々なことが関係しあって、いまつくっているものになっている気がするので、なかなか言語化するのが難しいのですが。 全部ひっくるめた上で、 自分が心動かされるもの、好きだと思えるものをつくりたいと思っています。 そのうつわが、誰かの生活にいてくれたら、それはとても嬉しく幸せなことだと思います。」
このお返事を読んだだけで、わたしはもうすっかり胸キュンです。心を動かされてしまいました。なかなか自分からは多くを語らない敦子さんですが、もっともっと沢山、陶芸のことに限らず世の中の色々なことについておしゃべりしてみたいです。
三好さんの作品はいっさい装飾がなく、ぶっきらぼうにさえ見えそうなほど素朴でやや粗削りな佇まいです。けれどひとつひとつのフォルムになんともいえない瑞々しさ、初々しさがありなぜだかとても心惹かれてしまいます。子供のような無垢さ、磨かれるのを待つ原石のように秘められた輝きがあり、思わず見守ってしまう。そしてその感じがとても、敦子さんらしいなあと思うのです。
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