芯の強さがにじみ出る、飾らない漆。臼杵春芳さんの漆材のお椀。
なんとも気取らない、おおらかな姿。ぽってりとしたフォルムからは親しみが感じられ、昔からよく知っているような身近さや安心感も感じられます。けれどもそれと同時に内側から芯の強さというか何か強く訴えかけてくるものがあり、とても惹きつけられます。作為的な要素がなくとても自然で「生活のうつわ」といった骨太さ、頼もしさがあるのです。
こんな漆もあるのか、とはじめて臼杵さんのお椀を見た時には驚きました。それまで漆作品に抱いていた印象とはまったく違うものでした。
手に取ってみるとスカッと手から取りこぼしそうになるほど軽い。木地に漆の木を使っているからだそうで、そのことも初めて耳にしました。裏返してみると「春」の一文字。
臼杵春芳(うすきはるよし)さんは、香川県丸亀市の漆作家さんで、山に漆の樹を植え自ら漆を掻き、お椀は木地づくりから塗りの仕上げまでひとりでこなすという稀有な存在です。こんな人がいるなんて!とわたしたちは心底驚き、どうしてもお会いしてみたくなって2022年に香川県丸亀の工房を訪ねました。それ以来、何度か少しずつお椀を分けていただきご紹介してきました。今回こうして展示に出ていただき、お椀以外の作品も皆さんに見ていただけるのは本当に貴重な機会です。
臼杵さんの作品を見たことがないという方のために、改めて臼杵さんの活動をご紹介させていただきます。
漆の木を木地に使うというのは非常に稀だそうで、それは漆の木がゆがみやすく暴れる性質だからです。漆の木はとても軽くて昔は漁網のウキの材料にされていたようですが、最近は使い道がなく薪に使われることがあるくらいだとか。臼杵さんは「漆を掻いた後の掻きがらを何かに使えないかと思い、木地に使うことにした。地元の木で漆を掻き、その木をうつわの木地に使う。小さいサイクルの中での循環。時間も手間もかかるけれども無駄がない」と話していました。
自分で掻いた漆だから、その貴重さは一層身に染みて感じられるはずです。漆の木は12年物の木でもワンシーズン約150㏄しか取れません。漆掻きというのは春先から秋口まで数日間の間隔を開けながら少しずつ木に傷をつけて、その傷をなぞって液を集めるのです。一本の木から一日で集められるのは微々たる量。それを何本も何本も、点在する畑間を往き来しながら何か月もかけて木樽に採集してゆくのです。それを発酵させ、一年も経って茶色く変化してくるとやっと漆塗の材料として使えるようになります。
上の画像は漆を採取する「カキタル」とよばれる木製の容器。臼杵さんは漆掻きや漆のことについて2017年からずっとブログを書いていらして、夏の記事は「12辺目」「20辺目」などとその日の漆掻きが何度目の傷をつけた時であるのかをタイトルにして日記をつけていらっしゃるのですが、とある日の記事には「今日採れた漆は170g.17本のうるしの木で割ると1本あたり10gです。たぶん今回の最高の量だと思います。今年は雨が多くうるし掻きが難しいです。」とあり、とてつもない苦労をして漆を集めていらっしゃる様子が垣間見れます。
臼杵さんのお椀は表面が粗めで武骨な印象もありますが、それは漆液を濾さないからだと話していました。もったいないから濾さずに全部使う、と。濾してしまえばさらに何割かが減ってしまうのです。
土井善晴さんの「一汁一菜でよいという考えに至るまで」という本がありますが、その表紙で土井さんが手にしているお盆に載っているお椀は臼杵さんの作で、土井さんの愛用品です。
土井さんは以前雑誌で臼杵さんのお椀を紹介していました。その内容が素晴らしいのです。日本人の美意識には「洗練」と「素朴」の二つの方向があるとし、物づくりが仕事になって、産地が大きくなって分業化して、専門職となった職人は厳しく技術を極める。それが「洗練」。一方、ゆがみも汚れも自然のこと、ひとつひとつが違うのはあたりまえとして、出来栄えを自然の心にゆだねるのが「素朴」です。と書かれていました。
わたしが心を打たれたのはそれに続く一文で「どちらの美を得るのも簡単なことではありません。人間の一生の仕事です」というくだりでした。さらに「日本ではその二つが響き合い、引き立て合い、うっとりするほどの美しさを暮らしの中に生み出します」と書かれていて、本当だなあとしみじみお椀を眺めてしまいました。
洗練と素朴。そのどちらもそれぞれに美しく、決して相反するものではなく響き合って共存できる。その視点の平らさ、穏やかさが土井さんらしく、一層ファンになってしまいました。
その土井さんが「この椀は「素朴」。特別な日でなくとも、私の日常の毎日を穏やかにしてくれているお椀です。」としめくくっているのです。
家庭で食べるふだんの食事をレストランのように豪華な内容にする必要はない。具だくさんの汁ものにして季節の野菜を沢山取り込めば一汁一菜で十分なのだ、と提唱した「一汁一菜でよいという提案」を勇気をもって世の中に送り出した料理人であるからこそ、臼杵さんのお椀の持つ素朴な美しさを拾い上げることができるのだと思います。
臼杵さんの漆材のお椀は漆材自体がいまや希少で作れたとしても年間100個程度。作るそばからなくなってしまう、と臼杵さんが話されていました。このお椀を見ると、なるほどこれほど「一汁一菜」という言葉がしっくりくるお椀もないなあと言う気がしてきます。毎日の家庭のごはんを支えてくれる力強いお椀です。
漆は仰々しくて気軽に使えない、と思って遠ざけてしまっている人にもぜひ手に取ってみて欲しい、そう願ってしまいます。
今回は、貴重なお弁当箱や尺以上の大きなお盆も届けてくださり、臼杵さんの幅広いお仕事を見ていただけます。楕円のお弁当箱は木地を作る職人がおらず、もう作れないと聞いていたのですがなんとか10個だけ作ってくれる人が見つかり仕上げることができた、と話していました。その職人さんが「もう二度とやりたくない」と言っていたほど大変だったそうで「これっきりになるかも」とのことでした(笑)。
臼杵さんの漆栽培の様子や漆を普及させるためのNPO法人、植樹活動などについてはさらに詳しく別のページでご紹介しております。そちらもぜひご覧ください。
*オンラインへの掲載はオンラインショップのメールマガジンにご登録いただくといち早くご案内を受け取れます。その後のお知らせにはなりますがInstagramでもご案内いたします。
*こちらの記事は2024年の「これからも、ずっと」展にあわせて2022年に公開された記事をリライトしております。