毎日ずっと使うものだからこそ飽きのこない形で。現代のテーブルにも合うシンプルな漆のうつわ。
毎日使う飯碗や汁椀。
手に持って熱い上に冷めにくく、口をつけるとしっとり心地よい。そして盛りつけた姿はこの上なく美しい漆のお椀。毎朝、毎晩と頻繁に使うお椀くらい、良いものを使いたい。そう考える人は増えています。ずっと使える漆のうつわだからこそ、飽きのこないすっきりシンプルなデザインのものを選びたいですよね。
小林慎二さんが作るお椀はどれも非常にシンプルで流行りすたれに影響されないスタンダードな形のものばかりです。普遍的でスッキリした、飽きのこない形。「アノニマス」という言葉がありますが、小林さんの潔いまでに装飾を排した漆のお椀を見て思うのはいつも、この匿名性なのです。
実際に小林さんご自身にお話しを聞いても「この漆はだれだれの作品で…と、ありがたがられるようなのじゃなくていいんです。」と言うのです。「誰のかわからないような、サインもされてないような。その程度の扱いでいいんです。ただ使いやすいなって思ってもらえたらもう十分すぎるくらいです。」
と、言っていました。
デザインはシンプルでも、今お店にズラリと並んでいる小林さんの作品はどれもこれも美しく、内面からにじみ出る輝きが隠しきれずにこぼれ出てしまっている、というような気品を感じます。実際には軽いのにもっと重さがあるようにさえ感じるほど凛としているのです。
輪島で修業をした小林さん。師匠である赤木明登さんのもとから独立して今年でもう17年。2年前に展示に出ていただいた時、「最近やっと、自分の漆が美しいなと思えるようになったんです。」そう静かに小林さんが語っていたのが忘れられません。
確かに、内側からにじみ出てくるような奥深い美しさが、作品すべてに緊張感をもたらしているように見えます。とても堂々とした、品格を感じる佇まい。シンプルなデザインだからこそ、塗りの美しさが一層際立って感じられるのかもしれません。
「何かが特別変わったわけではないんです。ただ、ひとつひとつの工程、作業をしていて納得のゆく仕事ができるようにはなった、とは言えるかもしれません。」とも話していました。
仕上げの上塗りまで、気の遠くなるような長い工程を踏まなければならない漆の仕事。無数の工程を重ねてゆく中、最終的には目に見えない下地の処理一つをとっても、すべてが気の抜けない真剣勝負の連続です。独立してからの15年間、小林さんは一体何度、同じ工程を繰り返してきたのでしょうか。何百、何千、何万回。ルーティンになってしまいがちな同じ作業の繰り返しの中、ひたすら技を磨き、無駄を省き、さらに奇麗に、さらに丁寧にと精進し続けること。おそらくその作業に没頭している最中には「美しく」とは意識していないのではないでしょうか。
やるべきことをまっとうすること。常に気を抜かず、なまけないこと。どこかで手を抜いてしまえば、どんなに上から漆を重ねて塗りつぶしてもきっと、最後にはにじみ出てきてしまう。微細なひとつひとつの選択の積み重ねが、自然とにじみ出るような「美しさ」を生み出すのではないでしょうか。
こうして目の前に並ぶ小林さんの作品を手にしてその美しさに素直に感動してしまいます。そして、その美しさを暮らしの中に取り入れることの素晴らしさを、豊かさを、ひとりでも多くの方に知っていただきたいと心から感じるのです。
これからずっと一生、毎日のように使い続けるものを選ぶのでしたらぜひ、こんな風に作られた本物の漆を選んで欲しい。自然と「美しい」という気持ちが湧いてきてしまうような、そんな漆。その漆のうつわでいただく一口は、どれほど美味しく感じられるでしょうか。その漆がある食卓は、どれほど豊かに感じられるでしょうか。自然と、背筋が伸びます。お椀の上げ下げにも、自然と手を持ち替えます。ごく自然に、所作まで美しく導かれるのです。
「ああ、うつくしいな」そんな風に思えるものを大切に使う。万が一割れたり剥げたりしてしまっても繕ってもらえる漆のうつわは、一生、ともすれば子の代、孫の代まで半永久的に使える息の長いうつわ。サスティナブルでもあり、今の世の中だからこそ真価を認めてもらえるものでもあります。ずっと飽きのこない小林さんの美しい漆のうつわ。じっくりお選びいただきたい作品たちです。
小林慎二さんの漆器はこちらのページから。