木が生きてきた場所、年月。むしろその材と出会うまでが全てと言ってよい。
前半はおしゃもじやサーバー、ヒメフォークなどカトラリー類をご覧いただいていましたが年が明けて後半、新年早々嬉しい納品となりました。やはり宮下敬史さんの仕事としては、スケール感のある1点ものの作品もぜひ見ていただきたい。毎回作品が届くたびにそう思ってしまいます。
木は、削り出すまでの時間の方が削っている時間よりずっとずっと長い。むしろ良い材との出会いが全てと言ってもいい。
「良い材さえ目の前にあれば、僕は何にもする必要がないんです。デザインなんてシンプルでいい」
と話す宮下さん。最近では特に長野で出会った材や近隣の山で切り出された材を中心に使っているのだそう。県内の森林協会の知り合いから情報を得て自分の足で歩いて山から切り出し、丸太で持ち帰ってきて2年以上休ませたものもあれば、近隣の山で働く木こりのおじいさんが納屋で60年以上寝かせていたクルミの木を手に入れたりと、自ら関わった材は信頼が置ける。
どの季節に伐採されどういった乾燥法を取られているのか素性のわかる木を選ぶことは、良い作品を作る上で自分にとってもっとも重要なことなのだ、と。
「木はね、わからないんですよ。削ってみて後から驚くことが何度もありました。今では本当に良い材を確保するのが難しくなった。」と話されていました。
宮下さんは、その素材によって天然オイルだけで仕上げるものと、何度も何度も漆をしみこませ、かつ木の自然な年輪や模様が薄く透けて見える墨色に仕上げる作品とを作っています。
それはもう単純にインスピレーションによるものだそうで、木と向かい合っているうちに自然に木が求めている姿が浮かんでしまうのでしょうか。いったん出来上がった作品を見てしまうとこれがオイル仕上げだったら、とか漆仕上げだったら、という選択肢が浮かんでくるような作品がないのが不思議です。この姿となるべくして生まれたような自然な姿でそこにあるのです。
同様に、その木が持つ癖というか、ともすれば欠点ともとられてしまいそうな節や虫食いの跡、裂け目さえもまるごと個性ととらえ、まるでそこにあるのが当然というように作品の一部として自然な佇まいを作り出しています。
もちろん、使用する上では問題がないようその癖を補強してあります。これ以上裂け目が広がらないように押さえている真鍮のかすがいや、節目からほころんでこないために何度も塗りこんで補強した漆の色の濃淡や虫食い跡までもが、その作品の強烈な魅力となっています。
いかに宮下さんがその木のあるがままの姿を慈しみ、大切にひとつの作品を仕上げてゆくのかがそこからもうかがえるようで、見ていて飽きることがありません。特にお盆というものは、コーヒー道具一式やお茶道具、お裁縫道具や趣味の小物など自分の中で特別な意味を持つものを仕舞っておく場所でもあります。いわば日常の雑事と聖域を分ける結界のようなもの。
お盆と書かれていても直接食品を盛りつけることができるので、お膳のように使ったりプレートとしてお菓子をのせたり、用途は自由です。
使うたびに惚れ惚れと見とれてしまうような、心から気に入ったものをひとつ求めてずっと使い続けその変化も楽みたい、そんな作品ばかりです。
一本の樹木がある程度の太さと密度を持った大きさに成長するまで、いったいどれだけの年月を要したのでしょう。切り倒されて丸太となり、そこからさらに数年休まされてから木材として整えられ、宮下さんの手で新たな命を吹き込まれてまた違った形で人の暮らしの中で生き続ける…。そんなことを考えていると、なんだかとても敬虔な気持ちになります。
皆さんの大切な時間の癒しとなるような、そんな特別な作品と出会っていただけますように。
◇宮下敬史さんの作品はコチラ
*こちらの記事はOnlineShopの過去のニュースページの記事を今回の入荷に合わせてリライトしたものです。