淡く儚い筆のなかに少しずつ溶けだしてゆく、沼田智也さんの静かな世界観。

先週のお休みに茨城県の北部、高萩市にある沼田智也さんの工房へお邪魔してきました。ご自宅のすぐ隣りにある空家に作業場を移し、一階に作品を置く棚を配置してギャラリーのような部屋にしつらえた沼田さん。家にそのままついてきたという昭和のレトロな家具や小物を上手に生かし、まるで古い旅館の一室のようにゆったりとくつろげる空間に、これまた古いランタンのようなストーブが置かれ、レコードプレイヤーからは様々な音楽が途切れなく流れ…と、タイムトリップしたような不思議な異空間が広がっていました。もともとDIYなども得意で、蔵を改造した工房も自分で壁や窓、床なども施工できてしまう器用な沼田さんは「まだまだいくらでも手を入れてしまいたくなるんだけど、適当なところで手をうたないと時間がいくらあっても足りなくなっちゃうから…作品作れなくなってしまう」と笑っていました。
沼田さんには独特の世界観があり、沼田さんの作品にはその世界観が投影されている。それはもちろん、誰の作品でも同様であるはずなのですが、一般的に、例えば粉引や焼き締めのお皿を見てもその人が何を考えてその作品を作ったかを想像するのは難しいのに対し、絵が描かれたお皿を見れば、少なくとも「何を描きたかったか」くらいは想像がついてしまう。分かりやすいと言えば分りやすい世界ですが、考えてみると非常に怖い一面もあります。単純に分類してしまうことはできませんが、絵付けという特殊な技法を主に作陶していると、その人の世界観があまりにわかりやすい形で人目についてしまう。絵の中には、彼の眼を通した世界しか描くことができません。簡単に言えば、お皿の中の絵を通してその人の世界観を垣間見られる、見てしまったような気になられてしまう、ということです。お茶碗に刷毛目やカンナで模様をつけても何を考えているかなんて想像されることはないのに、絵筆を持った瞬間そういう目で見られてしまうというのは、面倒といえば面倒な話なのかもしれません。もちろん、絵筆でただ一本の線を描く場合にはその限りではないので、具象的な絵を描く場合には、ということですね。

沼田さんのところに作品を見せていただきにお邪魔すると、天候にはじまるなんでもない世間話から知り合いの作家さんの噂話、食べ物や音楽やしょうもない無駄話まで…つまり余計なお喋りばかりに夢中になってしまい、本来の目的であった作品を見る時間がなくなるというパターンを毎回繰り返していたので、その日はまずお部屋に入った瞬間から「今日は先に作品見せてください!」と宣言していました。朝一番につくばを出て、10時近くには高萩に到着していたので(皆さんあまり想像がつかないかもしれませんが、つくば市と高萩市は100㎞以上離れているのです)、じっくりひとつひとつ作品を見せていただき、全員で協力して梱包作業をし終わった時点でまだ13時を回っていませんでした。「すごい!なんという快挙!」と自分たちの成長(?)に驚き、いつもは時間がなくて断念してしまっていた「ランチタイムに昼食を食べに行く」というオプションまで余裕でこなすことができました。高萩市の両隣の町には漁港があり、新鮮なお魚を使ったお料理を食べられるお店を沼田さんはよく知っているのです。なんとも羨ましいですよね。

早速、沼田さんお勧めの「大衆割烹武子(たけし)」さんへ。はじめてうかがった時かな?その時にもご案内していただきましたが、煮魚の定食がとっても美味しかったのを覚えています。あまりにも魅力的な定食メニューを前に、さんざん悩んだ挙句ワタシは天ぷら定食、パパろばは煮魚定食(その日はカレイ)を選び、さらにおすすめの一品料理「地ハマグリの酒蒸し」も頼んで、お店を出るころには満腹状態。前回もそうでしたが、お魚は新鮮でとっても美味しく、そしてボリューミーでした。煮魚のしっとりさ加減に感激。ちなみに沼田さんは焼き魚定食を食べていました。食後で眠気が襲いつつあるわたしたちの眼を覚ますべく、そのまま潮風にあたりながら散歩道を案内してくれました。武子さんから砂浜まで500mと離れていないのです。砂浜を見た後にはさらに「火曜サスペンスさながらの崖も行ってみます?」と車でさらに小高い丘の上にある公園まで移動。「ちょっと歩きますよ」とどんどん先に進みます。10分ほど鬱蒼としげる灌木をかきわけながら進むといきなり視界が開け「足元注意してくださいね」と言われるまでもなく、もう足がすくんでいます。
これは確かにサスペンスドラマの最後のシーンに使われそうなロケーションです。犯人が自分の秘密に気付いた主人公を追い詰めてるシーンか何か、ですよね(笑)。もうすぐそばまで、パトカーが来てるんですけどね、大抵。ほら、足元の石ころがザザザッとはるか下の崖に落ちていく音まで聞こえそう。その日は特別風の強い日だったようで、いつもはもっと穏やかだとのことでしたが、ザッパーンという音がすごくて怒鳴り合うようにして話さなければなりませんでした。沼田さんはどこを通れば下の岩場に出られるかも知っていて、ひょいひょいと身軽に下ってゆきます。必死で後を追いかけて、潮が引けて波の跡が残る岩場のステージに3人おりたつと、そこだけ風から守られているのかフッと波の音が静かになり、一転、のどかな雰囲気です。面白い形の石を見たりカニはいないかと岩の間をつついたり、しばし遊んでしまいました。
子どもの頃から毎日庭のように駆け回っていたという海岸沿いの林。沼田さんの自宅からは車でも15分くらいかかり、おそらく6km以上あるのではないかと思うのですが、今でもよく散歩にくる、というのです。寄り道しながら帰ってくると、ゆうに5時間6時間かかってしまう道のりだそうで、それでも割りに頻繁に来る、と。誤解のないように付け加えておきますが、作家さんってそんなに暇なわけじゃないんですよ(笑)。いや~、そうそう出来ないですよね。5時間の散歩って。持て余すほど時間があったって、やらないです。少なくともワタシは、ね。そんなことができるのは子どもたちくらいのものです。本当に。やっぱり、沼田さんの中にはあの、沼田少年が生き続けている、そう実感できる散歩のお供でした。波に運ばれてきて水たまりの上でユラユラ揺れている、「潮の花」と呼ばれる白い泡や、美しい模様の貝殻などもひとしきり眺めてから帰路につきました。気分はすっかりリフレッシュ。つくば市を離れて高萩の沼田さんの工房を訪ねると、いつでも小旅行に出かけたような非日常感を味わいます。はじめて来た時からパパろばが「茨城の南仏」と命名していましたが高萩市は本当に風光明媚なところで、海も山も川もあり、自然豊かでハッとするほど美しい景観にいくつも出会える、素晴らしいところです。

来た道を戻りながら沼田さんと話していたのですが、こうして歩いているとよりリアルに季節を肌で感じられます。そして、やはり自分の足でゆっくりと歩いて見ていると、そこで出会う植物や動物や自然現象などを、じっくり観察することができると。それがそのまま絵付けに生かされるということではないらしいのです。けれどもやはり、植物などを仔細に見ていて茎の伸び方や構造、「こうなっていたのか」ということを実感できることは大きい、と。写実的な植物画を描いているわけではないので、そのままその観察が絵筆に影響するわけではなくても、知っているのと知らないのとでは、たとえ図案化されパターン化された繰返しの模様でも、描いている時のラインには違いが出るのではないかと容易に想像できます。ただ、沼田さんは「どちらもあるんです」と話していました。その写実性を意識する時と、敢えて意識しないように描く時とが、あるらしいのです。

四季の移ろいを身体全体を使って感知する、その大切さを実感している人は多いのではないでしょうか。春が来た、夏が終わる、秋が深まる、冬に閉ざされる…一刻一刻変化し、一瞬たりとも同じ風景を留めることのない自然の営みの中で、その瞬間にだけ出会える色や光、風や音、臭いに集中してみる事。身をゆだねてみること。沼田さんはきっと、長い時間をかけてゆっくりと歩むその、目的を持たない散歩という行為の中で、沢山の感覚、気づきを蓄えてきたのだと思うのです。絵に描くものも描く必要のないものも、分け隔てなく。それはやはり、わたしたちにはなかなかできない事です。時間があったって、わざわざ「ピクニックに行こう」と休みを取って準備をしてでさえ、彼と同じような感覚でいろいろな瞬間を切り取ることができるか、と問われると自信がありません。

今回は、そんな、彼が歩いて出会ったような風景や、自然現象を表現したような作品はありませんでした。あるはずはないのです。素材探しや、絵付けを上達させるためのスケッチを目的に散歩をしているわけではないのですから。沼田さんは自分の見てきたものを表現しているわけではないと思います。あくまで、見てきたものが養分となっているにすぎません。それらはきっと時間をかけて、静かに、ゆっくりと作品に溶けだしてゆく。沼田さんと出会ったころから繰返し描き続けているような定番的図柄、花唐草や菊文、ワンポイントが愛らしい蝶の模様、古典の写し柄など、シンプルと言えばシンプルな図柄の作品たち。これまで比較的見慣れてきたような模様のものばかりであったのにも関わらず、あまりにも魅力的な作品が多すぎて絞るのにものすごく苦心しました。それを、上手になった、手慣れた、という風にはとらえられないのです。繰返し繰返し描き続ける、花唐草の蔦模様。一見すると、色の濃淡がある以外は同じような柄にも見えます。けれどきっと、沼田さんが描く花唐草には、四季があるのです。夏には夏の勢いがあり、春には春の初々しさがある。実際には同じ古典柄を手本に同じ模様を描いているだけだったとしても、彼が彼の眼を通して見た自然の営みが、肌で感じた森の空気が、いつしか自然に溶けだしてくる。だから、同じ柄でも人によって受ける印象が変わるのではないでしょうか。

毎日を忙しく過ごしているワタシたちには、日常的にゆったりと5時間もかけて海に散歩に出かけるなどという行為は、余程の意志を持たない限りできないでしょう。しつこいようですが、沼田さんが暇だと言いたいわけじゃないですよ。怒られちゃう(笑)。けれども、その代わりに、沼田さんが出会い、大切に蓄えてきた美しい自然に対する感動、驚き、畏怖…全てが浄化され、無意識であってもとある瞬間とある模様に姿を変え、こともあろうにわたしたちの食卓に登場するかもしれない。そんな偶然が、この世の中には起こりうる。それが、その人生の機微のようなものこそが、人が人の手で作ったものに出会えることの面白さなのではないでしょうか。

その日出会った素晴らしい作品たちを新聞紙にくるみ、車に詰め込んで、海辺の散歩から戻ったわたしたちが車に乗り込む直前に沼田さんは、ご自分が育てた大根を二本お土産に持たせてくれました。「無農薬ですから、皮も葉っぱも全部美味しく食べられますよ。虫喰ってますけど、気にしないですよね?」と。

翌日沼田さんに「大根、早速だし巻卵にたっぷりすりおろしていただきました!!ほんとうに甘かった~~!残りも葉っぱといただきます。ありがとうございます!」とメッセージしたら、すぐにこう返ってきました。

「作品も大根も喜んでもらえたら同じく嬉しいものですね。こちらこそありがとうございます。」

ご実家の農家業ももう少し本格的に手伝いたい、と言って「半農半陶」宣言をしていたのが2年ほど前でしたでしょうか。ところが個展や展示などで田植えや草刈りの一番忙しい時期に思うように畑仕事ができず「農業の方はどうですか?」と聞いたら「ぜんぜんダメですね。完全放置です。」と苦笑い。でも、もの凄く美味しかったですよ。大根。いつかきっとその大変な農作業の歳時記などもすべて、作品に現れる時が来るのかもしれませんね。沼田さんの世界が広がれば広がっただけ、作品に現れるモティーフも進化するのかなどと想像するだけで、ニヤニヤしてしまいます。定番おかめシリーズの不敵な笑い顔のように。このシリーズもかなり進化してきて、最近では普通に喜怒哀楽で表せるほど平凡な表情の子には出会えなくなってきました(笑)。

さてさて、すでにどっぷりヌマタ病の方はもちろん、はじめて沼田さんの作品に触れるという方にもぜひ、一枚いちまいゆっくり彼独自の世界観を感じていただけたらと思います。まるで散歩中に田んぼのあぜ道で出くわしたシーンをスケッチしたのでは?というほど新鮮な動きを感じられるメダカ柄のシリーズ、古典柄の移しだという餅つきウサギ海の生き物総動員の飯碗など、今回初めて出会えた特別な絵柄のものはもちろん、定番の花唐草のお皿や赤絵の作品たちにも、彼特有の淡い筆致による古道具のように静謐なたたずまいの中に、いたずらっ子のような好奇心、動悸を感じていただけるのではないでしょうか。本当に、ひとつひとつまったく個性の違う作品であるのにもかかわらずそのどれもが、まぎれもなく沼田さんの作品にしか感じられない独特の息遣いを感じられることに、改めて感動を覚えてしまう。これほど深い喜びを感じながら沼田さんの作品をご紹介できることを、心から幸せに感じます。4年前の出会いに感謝、いや、沼田さんの中に生き続ける沼田少年に感謝、ですね。

どうかひとつひとつ、じっくりと沼田少年の眼が見た世界をご覧ください。
沼田さんの新着の作品はコチラです。


 

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