お茶の時間が、こんなにも大切なひとときになるだなんて…。

DSC_1806
ワタシにとっては特別な意味を持つ、お茶セットをご紹介します。たまらなく愛おしい、境さんの土瓶と汲出しです。完全に私物ですいません…。

去年の誕生日のこと。
ママろばは9月生まれの乙女座、O型です。誰も聞いてないけど。

9月も後半。長くいつまでも終わらないように思えた暑い夏もあっけなく勢いを失い、夜は肩になにか羽織らなければ肌寒くさえ感じられてきたころでした。

毎年のことなのですが、パパろばは誕生日当日の夜ではなく、前夜の12時過ぎに「おめでとう」と祝ってくれます。毎年のことなのに、毎年律儀にそれを忘れていて不意打ちを食わされる格好となるのですが、やはり去年もそうでした。

いつものようにチビろばたちが眠ったあとゆっくりパパろばの晩ごはんタイムとなり、二人で流しを片付けたりしているとあっというまに深夜。何を取りにだったか寝室に入り、リビングに戻ってくると大きな包みが食卓の上にありました。

それでやっと「あ、明日は誕生日だったっけ」と思い出すのです。まあ、そろそろ嬉しいだけでもないイベントとなりつつありますからね、バースディなんて。

その前の年はパパろばが大好きな金属の作家さんのカトラリーだったのでとても小さな包みでしたが、今年はなんだかブーツでも入っていそうな大きさです。茶封筒のような飾り気のない素朴な紙に荷造り紐をかけ、赤い小さな実をつけた南天のような枝が挿されているのですが、その赤い実がとれてバラバラ、バラバラ、あちこちに散らばっていました。

「え~、よかったのに。」と言いながらも、やっぱり包みをほどく気分と言うのはよいものですね。ウキウキしてしまいました。そして、くるくるとまかれた薄紙をほどいて出会ったのが、この土瓶と汲み出しでした。ブーツなんかじゃなく。
不意打ちだったのと、土瓶のとっつきやすい容姿に思わず顔がほころぶ反面「あ、また自分が欲しいものをワタシに贈ったなあ」と思い、つい彼にそう言ってしまいました。でもパパろばいわく、今回は純粋にワタシを喜ばせようと思って好きそうなのを選んだのだ、とのことでしたがなんだか言い訳のようにも聞こえてしまいます。

だって、あの境知子さんのなんでしょう?

あんなにあんなに、好きで好きでしょうがない作家さんじゃないの。やっぱり諦めきれないんだなあ…。そのプレゼントは、長野の『わざわざ』さんというお店のオンラインで購入したようでした。あとでネットで見てみるとパン屋さんでもあり、とても素敵なセレクションと個性的な店主さんの哲学がいたるところに垣間見える、興味深いお店でした。ちょっとオシャレな町の雑貨屋さん、というのとは一線を画しているように思えます。機会があったらぜひ一度行ってみたい。

ろばのウチには彼女のやきしめの盛り鉢と、白磁の楕円の大鉢があり、どちらもパパろばが、また別の都内のお店で手に入れたものでした。今やその二つの登場頻度ほぼ毎日。下手すると1日2~3回(笑)。

そもそも、そのまま火にかけられる耐熱のピッチャーをどこかで見かけたパパろばが、あちこち調べてもなかなか取扱いショップが見つからず、なんと境さん本人に直接問い合わせて紹介してもらったお店なのでした。店主の女性がとても親切な方で、いろいろ相談に乗っていただき結局はピッチャーではなくその二つの鉢の方を選び、取り寄せたのでした。白磁も、南蛮焼き締めも、どちらも本当に何を盛ってもサマになり、その上使いやすく洗いやすいものだから、しまったと思ったらまた出して、と休む間がありません。

使い込むうちにどんどん愛着が深まり、白磁のまるくなった玉縁を撫でまわしては「ああ、いいなあ境さん」とため息をついていたパパろば。

一度「やっぱり勇気を出して聞いてみよう!」と決意して直接境さんに電話をかけ、つくばでろばの家という雑貨屋を営んでいることを話したようです。ギャラリーでも専門店でもないのだけれど境さんのうつわをぜひ扱わせてほしい、と申し出てみたといういうか、告白してみたようですが、基本的にうつわ専門のお店としか取引をしていない、というお話や作品があまりなくて新規のショップはあまり積極的に受け入れていない、などなど事情をお話ししてくださったようで「やっぱりダメか」と肩を落としていました。

その時のパパろばの落ち込みようといったら…。青菜に塩とは言うけれど、どちらかというとお酢をかけたワカメくらいにぺたんと、へこみきってました。今思い返しても可哀そうになるほど。本当に、本当に、心から扱わせてほしかったんだなあ…と他人事のように憐れんでいたのですが、当時のわたしにはまだそこまで境さんの作品への思い入れというのが芽生えていなかったのです。わたしが彼女の作品の良さをじわじわと実感するようになったのは、そのうつわたちに色々な料理を盛るようになり、さらにこの、誕生日にプレゼントされたお茶セットを毎日使うようになってからのことでした。

ショップとしてお取引はできないかもしれないけれど、いちファンでいる分には自由とあきらめ、純粋な気持ちで作品を愛でていられれば幸せ、と割り切ったのかネットで画像を見るたびに「土瓶がまたキレイなんだよ~」とワタシにも見せてくれていたくらいなので「やっぱりほら、自分が使ってみたかったんじゃない。ワタシの誕生日を口実に…」と思ってしまったのですが、早速お茶を淹れてみようよとうながされ、お湯で土瓶をあたため、ゆっくりと何のお茶だったか食事の終わった食卓に二人並んで座ってズズズと汲み出しからお茶をすすっていた、その時です。

 

「こうやってさ、ジジババになってもさ、二人でお茶を飲んでたいなって思ってさあ…」とボソッと。例の低い声で。

 

 

…正直、やられましたね。

多分、その時ほど強く、ひとにいただいた贈り物をありがたいと思ったことは、これまでのママろばの人生上なかったように思います。これは何がなんでも大切にしよう。死ぬまでずっと、使い続けよう。落としたり、洗っていてぶつけたりしてよくうつわを壊したりヒビを入れたりしてしまうことの多いママろばですが、これだけはもう、絶対に大事にするぞ!万が一落として粉々に割れてしまっても、金継でもアロンアルファでも、どうにかして修復して墓場まで持ってくぞ、ってね。
だから、このセットでお茶を飲むたびに思うんです。大切な誰かがいつも傍にいるっていうことは、なんて贅沢なことだろうって。そしてどうしてこれまでそんなシンプルな事実に、感謝してこなかったんだろうって。

そんなワケで…。ワタシの生活の中でお茶の時間がとびきり特別な意味を持つようになったのはこの、境知子さんのおおらかで、どこか愛嬌のある土瓶と、若干大きさと内側の色合いが違うためにパパろば用とママろば用にちゃんと見分けがつく、世にいう夫婦茶碗的な汲み出し2つのセットのおかげなんです。

 

「お茶、淹れたよ。」

食事のあとのそのひとことが象徴する、目に見えない幸福のカタチ。

何気ないひとことに、今日も感謝です。

DSC_1820
使い始めて4か月ほどですが、もう貫入が目立ってくる箇所もあり変化してきました。あと30年使ったら、どんな色合いに変化しているのでしょうね。
DSC_1798

記事をシェアするShare on Facebook0Tweet about this on Twitter0Share on Google+0Pin on Pinterest0Email this to someone

関連記事