生きている樹を相手に、言葉を交わすように丁寧に彫り出された作品たち。

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ここまで、心底素材に魅せられたように話をする作家さんとお話しするのは初めてでした。それが、土をこね好きな大きさに形を作りだせる陶芸の世界と違って、木材という質量の限られた立体の中に収まる形を彫り出すしかない木工の世界だからなのか、それとも単に宮下さんが特別に木という素材に惚れ込んでしまっているからなのかは、これまで木の作家さんと語り合う機会を持たなかったわたしたちには判断できないことでした。やり直しのきかない世界だからこそ湧き上がってくる素材への執着というのが、確かにあるのかもしれません。それでもこれは、まあ、普通じゃないぞと思わせるほどの思い入れが、その話しぶりから感じられてしまったわけです。でも決してオタクに見えないのは、宮下さんの大柄で飾り気のない頼れる兄貴とでもいいたい風貌と、快活な話し方が一役かっているのかもしれません。アーティスト、という気難しそうな雰囲気はなく、山から木を伐り出して今戻ってきた、とでもいうような健全な強靭さを想像してしまうのは、彼がこの仕事に就く前に林業・建設業に携わっていた、と聞いてしまったための先入観によるものでしょうか。

ろばの家では初めて扱わせて頂くことになった、木の作家さんです。宮下敬史(みやしたたかふみ)さんといいます。生まれ育った横須賀に工房を構え、自分の気に入った木を選び、自分の好きな形に彫りだし、ひとつひとつ丁寧に小刀を使って削り上げ、基本的には天然のオイル仕上げか、ごくごく薄く漆をふいて、彼が惚れ込んでしまった美しい木の年輪を消してしまわないよう、目に見える姿のままそこに残して作品を作っています。

「だってね、勿体ないでしょう。こんなに綺麗な木の年輪を見えなくしちゃったら。それに、木の種類によって違う色合いや年輪の模様を感じられることこそが、木という素材の持ち味だと思うから…。」という説明は、わたしが初めて宮下さんにお会いした、雑司ヶ谷の鬼子母神堂で月に一度行われている手創り市のブースで、違うお客さんに向けて語られた言葉でした。沢山のお客さんに囲まれて、でもゆったりと構えている宮下さんに、いつ「あの~実は…。」と話しかけようかと頃合いを見計らっていたのでした。

miyashitasan8初期の頃からずっと作り続けているというコーヒーメジャー。柄の短いタイプは保存瓶に入れたいからという要望を受けて。

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miyashitasan10ママろばが手創り市で買ったバターナイフ。ナイフ面の縁が上下両面から薄く削ってあってバターもパテもとても塗りやすい。

宮下さんをご紹介してくださったのは、益子の陶芸作家、近藤康弘さんでした。「とにかく、あのすごい木の目を見てきてください」と言って、ご自身も出展されている手創り市のことを教えてくださったのです。宮下さんと近藤さんは、ともにその手創り市に古くから出展してきた仲間で、近藤さんはことあるごとに宮下さんのブースでコーヒーメジャーをひとつ、一輪挿しをひとつ、バターナイフを一本、と少しずつコレクションしてきたのだとか。ろばの家に作品を納品しに来たときにお願いして、愛用品を見せてもらいました。そしてその中のひとつの酒杯に目が釘付けになってしまった時の話をしてくれたのです。

「この年輪見てるだけで酒が一杯飲める」

近藤さん特有のユーモアにも思えましたが、その杉の木の織りなす信じがたい曲線を実際に見た時、その表現の的確さに思わずうなりました。本当に、これだけでも十分です。工房でその酒杯に使われた杉の木材を手に取って見せて頂いたのですが、神が宿っているかのような、特別な重々しさがありました。とあるお寺の境内で伐採された樹齢300年を超す大木の枝で、明らかに他の木材とは年輪の密度が違うのです。形を彫り出される前の木材の姿でさえ、いうにいえない存在感を放っているように見えました。後から宮下さんが「正確には箱根神社前の杉並木の杉です。とても歴史ある場所です。箱根神社はパワースポットで有名らしいですよ。箱根で活躍してる木こりが幹に登り命懸けで伐りました。僕の友人です。」と教えてくださいました。やはり神々しく感じたのには理由があったのです。そんな風に、そこに並んでいた木材の、それぞれに違う色合いや年輪の密度にただただ見入っていると「その山桜は…」「そっちのケヤキは…」と次々にそれぞれの出生についてのストーリーが飛び出してくるのです。まるでアルバムに貼られた写真を指さして、「あん時は笑ったよなあ」と古い友人と一緒に次々と昔の思い出を掘り起しているみたいに。

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手創り市で話しかける機会をうかがっていたとき、ひとりの男性が「これ、カッコイイですね」と円台のケヤキの皿を手に取りました。そのときの宮下さんの「わかってるね~。それ、すごくいい木だったんだよ」と言いながら見せる、お目が高い!とでも言いたげな満足げな表情には、自分の作品を褒められたというよりもその素材の良さをよくぞ見抜いてくれた、という意味合いが強すぎて、なんだかとてもおかしく見えてしまいました。おそらくその男性は、その円台のお皿の形の良さや、作品としてのたたずまいを褒めたつもりだったのではないかと思うのですが、宮下さんにとってはあくまで自分の作品は、もとの木の素材頼み、もしくはそれと表裏一体、という感覚なのだろうなあ…と。そうしてその時から、もっともっと、宮下さんに木の話を聞いてみたい、そう強く願うようになったのだと思います。

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miyashitasan3     上3枚は工房を訪ねた際に撮影した写真。整然と並ぶ道具や作品たちに「几帳面なんですね」と言うと「慌てて片付けました」と照れる宮下さん。
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だから、実際に宮下さんの工房にうかがうことができて、さらにはその、文字通り我が子のように手塩にかけた作品たちをろばの家に置かせて頂くことになって、若干はしゃぎ気味になってしまったとしても仕方がないと思いませんか?あんまり浮かれすぎて、まだ作品が到着してもいないのに3周年のご挨拶を兼ねたDMに宮下さんの紹介を載せてしまい、発送するときになって作品がないことに気づき慌てて送ってもらう、なんていう失態までしでかして宮下さんに笑われてしまいました。

そのハガキには、3周年の感謝の気持ちとともにこんな文章を載せました。これまでのご紹介文と重複した部分もありますが、宮下さんが自然に時間をかけて乾燥させた木材を選ぶ理由や、安易にヤスリをかけて滑らかさをだすのではなく、手間はかかっても刀で削りだして細部を仕上げることの大切さなどについてのお話も書いていますので、どうか読んでみてください。


 

~3周年を迎えて~

横須賀市。見上げるような急斜面の坂道を登ったところに
古い家を自分で改装したという工房がありました。
複雑な木の香りのする、居心地のよい小さな空間でした。

宮下敬史さんはそこで、樹齢300年を超すというみっちりと重い杉の幹や、
地図のように意味深な模様を描く山桜の枝を相手にひとり、木を削っています。
時間というつかみどころのない観念が、
直に手で触れることのできる実体を持つカタチへと姿を変え、
とある誰かの、彼らから見れば短い一生を
その横で黙って静かに見守ってくれることになるのかもしれない。
一輪の花を、そっとたずさえて。

「宮下さん、この鉢素敵ですね。」「それはすごくいい胡桃だったんだよ」
…どの作品について聞いても、必ずその木についての想いやエピソードが返ってきます。
そして、その木がどのように扱われていたのかが、
どれほど重要かということについても。
それが時間をかけて自然に乾燥されたものなのか、人工的に乾燥されたものなのか。
「急いで乾燥させられたものは長く持たない。早くガタがくる。」
…なんだか、人生についての大切な教訓を与えられたようで、
なぜだか少し叱られたような気がしてしまいました。

ろばの家でははじめての、木の作家さんとの出会いでした。まだたった3年。
この一輪挿したちからは笑われてしまうような短い年月です。
そして本当に、ぜんっぜん、自分たちなんて、
まったくもってまだまだだ、と日々うなだれています。

それでも、こうして出会うことのできた作家さんたち、生産者の方々、
そしてわたしたちを応援してきてくださった皆さんと、
少しずつ(ゆっくり焦らず!)大切に関係を築いてゆきたいと思っておりますので、
どうか4年目もろばの家をよろしくお願いいたします。
miyashitasan11

*こちらの記事は2017年3月に公開されたものです。『ろばの家の定番展』には宮下さんはおしゃもじやバターナイフ、スプーンでご参加いただきます。文中の画像は出展される作品とは別のものになりますので関連記事としてご覧ください。

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