急須というカタチをした、土の、地球の記憶。

13443962_996660333775060_1666268601_n土が違うということは、時代が異なるということなんだ。そうはっきりと意識させられたのは、若杉さんのご自宅を後にする際玄関でふと目にとまった、美しいモニュメントのようなガラスの円柱。黄土色、カーキ、グレー、白、ピンク、様々な色の土が順番に重なり層をなしています。縮尺や割合はデフォルメされてるとはいえ、その並び順は益子のとある箇所で見られる断層を忠実に再現したものだそう。本当に自然界にそのまま存在するのか?と疑いたくなるほど混じりけのない美しい色の層もあります。南の島に生息する鳥や蝶の鮮明な色柄に自然という計り知れない創造主の力を意識させれらてしまう時のように、一種敬虔な気持ちがわいてくる色合いでした。

「この辺りはほら、関東ローム層の土壌ですよ。」と円柱の上の方にあるこげ茶色の部分を指しながら「これもあと何十万年かすれば粘土質に変化するんです」と事もなげにさらりと言ってのける若杉さん。「今うかがったような興味深い土のお話。これだけの知識を、文献という形で残そうとは思われないのですか?」と尋ねてみると「僕なんかのは知識じゃないですよ。学術的な裏付けもなく感覚で話してるだけだから全然ダメです。」と謙遜というのとも違う感じで答えてくれました。でも、これほどまで益子の土についての深い考察の跡が、急須という一見無縁な存在の物体というカタチでしか残らないのは残念な気がして…と食い下がる私に一言「歴史というのはそういうものです。そうやって皆埋もれ、消えてゆくものなのではないですか。」と静かに付け加えました。
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その「埋もれ、消えてゆく」という言葉が妙に深く心に突き刺さりました。しかしその一方でそれとは対照的に、それぞれの層特有の色の土から作られた若杉さんの急須のグレイッシュで微妙なグラデーションをなす個々の色が、にわかにくっきりと際立って見えてくるような気がしてくるのです。そのわずかな色調の違いが数十万年の歴史の隔たりを意味しているのかもしれないと思うにつれ、自分の生きてきた年月のいかに儚く、取るに足らないものであるかを再確認させられているかのようにさえ思えてきます。埋もれ、消えてゆく…確かに、焼き上がった土の色合いに一喜一憂する行為など、このオブジェの最上部にひらりとかけられていた表土よりもさらに薄っぺらなもの、そう思えてきても仕方がないのかもしれません。出たよ、ほんっとママろば大げさなんだから…とまた言われてしまうでしょうか。

でも、月曜日にご自宅を訪ねてじっくりお話をうかがい、初めて腑に落ちたのです。若杉さんが30年以上かけて表現しようとしてきた益子の原土固有の色というものは、そこまでの世界観をはらんだものなのだ。そう信じさせるのに十分なまでの緊張感を、実は今回直接お話をうかがうずっと以前から、若杉さんの急須が放つただならぬオーラ、佇まいだけからでも感じてしまっていたのです。大げさでも何でもなく、それほどまでの存在感に対してようやく自分自身納得のいく説明をつけられたという安堵感の方が大きいくらい。数億年の記憶が風化し堆積した、土という地球の断片。お茶を楽しむための道具である急須の姿から、そんな宇宙観までを垣間見させてしまう若杉さんの奇跡のような手。あの急須たちを単に熟練の職人技という言葉で片づけてしまうことになぜあそこまで抵抗を覚えていたのか。「僕は毎回真剣勝負だから」という若杉さんのセリフがどうしても頭から離れない。帰り道パパろばがそう繰り返していましたが、本当に、文字通り真剣に、一生をかけるつもりで土と向き合い試行錯誤を重ねてきたのだ。そしてそれは一人の作家が自分のアイデンティティーを作品で表現しようと模索するのとは、まったく違う種類のものであるということが自然に理解できた4時間に及ぶ訪問でした。

若杉さんが益子に越してきた70年代には北郷谷(きたごや)だけでも10軒以上あったという、職人が手作業で粘土を漉す手漉し粘土屋さん。時代は高度成長期からバブル期へと上り詰める好景気のさなかで、益子焼組合でも機械生産の粘土作りが始まっていた。焼けば焼くだけ売れるような時代にあって、粘土も大量生産に向いた品質のものへとシフトしていく中、どんどん手漉しの粘土屋さんが消えていく。粘土の作り方を今のうちに覚えておかなければと職人さんの元に一年かけて通い、必死で写真を撮り詳しい記録を残した若杉さん。このままでは益子にいながら益子の原土を使えなくなるという危機感から、その記録を持ってあちこち手漉し文化の重要性を説いてまわるのですが、これからはもう産地としてでなく作家として栄えていく時代なんだと退けられてしまいます。大きな時代のうねりに職人制度や伝統までもが吞み込まれ、消えてゆくのを前にひとり必死に抗い続ける様子は、若杉さんへのインタビューを3部の連載にまとめた、益子の土祭(ひじさい)HP中の記事を読んで知りました。同じく益子で活躍する陶芸家、鈴木稔さんが2012年に行ったもので、それが本当に素晴らしいんです。きっと陶芸に興味のない方でも面白く読んでいただけるはずです。若杉さんが手漉しの粘土業者さんのとんでもなくキツイ労働を目の当たりにして驚いた話。年老いた職人のお母さんがゴム手袋をはめていると勘違いしたほど真っ青な腕をしながら「やきもの屋さんにはきちんと光が当たっていいわね」と言うのを聞き辛かったこと。若杉さんが益子国際陶芸展で濱田庄司賞を受賞した際にそのそのことだけは絶対に言わなけばいけないと思ったというくだりなど、読んでいて涙がこみ上げてきました。

益子という、民芸の聖地とあがめられる窯業地にありながら、その民芸を支えてきた職人制度は崩壊している。そのジレンマを抱えたまま、最後の一人であった手漉し業者さんも廃業してしまう。二度と手に入らなくなるであろう川又さんの手漉し粘土2トンを買い取った若杉さん。その貴重な粘土をどう有効に使うか。お茶碗のようなものを量産すればすぐに底をつきてしまう。少しでも価値を持たせるために急須を選ぶに至るまでの思い、周囲からは絶対に無理だと言われた益子の原土単体での焼き締めによる急須作りを成功させるまでのいきさつから、原土それぞれの個性の違いを急須に落とし込むまでの試行錯誤まで。一年以上前にこの記事に出会ってから何度か読んでいますが、本当に読むたびに色々なことを考えさせられます。そもそも、益子のあちこちで異なる個性の原土を見つけるに至ったきっかけが、トンボの研究だったなんて!そしてそれは農薬による環境への被害を深刻に受け止め、それに意義を申し立てるためにたった一人で立ち上げた「益子の自然観察会」の、3年以上にわたる地道なフィールドワークの副産物だっただなんて!水辺を散策するかたわらに様々な原土を採掘するようになり、それが最終的に15種類以上の土を使い分けるまでに至る。それら一連の記事を読んでから、改めて彼の急須を眺めると…。

13453643_996665073774586_14160932_n (1)今はもう採れなくなってしまったという土から作られた蓋物と急須。焼成温度やその他の条件でこんなにも色が変わる。

わたしは何も、若杉さんの急須をそういう目で眺めてみてほしいと言いたいのではありません。純粋に「こんなすごいものを作る若杉さんとはどんな人なのだろう」という自分自身の素朴な興味から鼻先を突っ込んでしまっただけの話です。ただわたしたちと同じように、そこに興味を持ってしまう人はいるのではないかな、と。だからこんなに長々書いてしまうのです。学生のころ、彫漆の人間国宝の先生に出会い、まさに神業とも呼べる緻密で精巧な仕事ぶりに、工芸とはこういうものだと思い込んでしまったと、そのインタビューにはありました。職人さんに対して尊敬の念を持って益子にやってきて、やきものも自分の思いを突き進め、何十年もひたすら頑張っていれば自分の世界がつくれるだろうと思っていた、と。

こんな風に書いていると、若杉さんがどんなに厳めしい、難しい顔をした職人さんであるかと思われてしまいそうですが、実際には非常にお茶目で、いたずらっこのような笑い方をする気さくな方でした。かくいう私もお宅に通していただくときには相当緊張していたのですが「僕なんてただのおじさんですよ」と本当に謙遜している風がみじんもない感じでへへへと笑い「僕のそれっぽい話聞いているとだんだんそうかな?って気になってくるでしょ?」と〝ボクリ″という土の名前の由来を想像した話を聞かせてくれたり。それでも「今の人たちはなんというかみんな、優しいよねえ。」という言葉の中に、彼がこれまで立ち向かってきた壁の果てしなく高い様子を想像してしまいました。

「今若杉さんが急須に使用しているような技術は、どこで誰に習ったものなのですか?」という質問に「やきもの屋はね、どうやってやるかなんて聞いちゃダメなんですよ。見栄っ張りだからね。聞きたくても聞かない。どうやんのかなって必死にやってみるんです。失敗しながら自分で工夫してみる。そうしないとね、出来たって面白くないんだな。」急須でやっていこうと決めてからの初めの3年間。常滑の名工の作という急須をひとつだけ手に入れ、見よう見まねでカタチを起こしとにかくそれらしい姿になるまでいくつも作ってみたという。それでもどうしても、どうやって作っているのかわからない箇所があったのだそうです。「それでね、僕は手紙を書いたんです。一度、見せてくれないかってね。常滑まで出かけてね。あんなに悩んだことが、見れば一発ですよ。聞く必要なんてないんです。ああこうやればよかったのかって、一瞬で理解できるんです。」そういう話を、面白おかしく冗談交じりにサラリと話してくれるんです。「グサッ、グサッ」という胸の音を表現せずにはいられないパパろば、ママろば。思わずすいません!と若杉さんに謝ってしまいました。自分で苦労して見出したことでなければ身につかない。よく言われていることなのにそれが彼の口から飛び出すと、なんと重く深く突き刺さってくることか。帰り道、刺さったまんまの矢を一本一本引き抜きながら「わたしたちも頑張んなきゃ」と若杉さんから受け取った急須たちの箱を見つめるママろばに、「真剣勝負ですから」と低い声でつぶやき続けるパパろばでした。

真剣勝負の急須、というより若杉集さんという一人の人間。思わずママろばも真剣勝負でご紹介してしまいまいした。もちろん、こんなに長い文章、読んでいただかなくて一向にかまいません。若杉さんの急須が自ら放つオーラに比べたら私のたわごとなど、関東ローム層どころか、ひらり地表に落っこちた葉っぱ一枚の重さにも満たない。皆さんにはどうか、ご自分の心に響く一体を直感で選んでいただきたい。使われた土がどれほど希少で、どの形がレアなのかといった観点では絶対に選んでいただきたくないのです。だって、どれひとつとっても、ふたつと同じものは存在しない、真剣勝負なのですから。

今回入荷した急須やポット、湯冷ましたち。ぜひご覧ください。

 

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