どこの世界にでもね、いるんですよ。売れるモノを作るんじゃなくて作らなきゃならないモノを作る変な奴が。

わたくしママろばとパパろばの間では、お会いする時に最も緊張してしまう作家さんといえば若杉さん、に決まっています。益子でこの緻密な急須を作っている、若杉集さん以外ありえません。

益子でたった一人、40年近くひたすら益子の土で急須を作り続ける孤高の陶工。理工系のアタマと理論的なアプローチで、機械ですらここまでできまいという神業のような見事な手仕事を操る。組織と群れず体制に立ち向かう一匹狼的なストイックさは、この業界に足を踏み入れて間もないワタシたちにとってはちょっと恐れ多い、大きすぎる存在でした。

先週のお休みに、久しぶりに若杉さんの工房を訪ねました。隣接するご自宅へと続くアプローチに覆いかぶさるようににびっしりと植えられた木や山野草。中にはずいぶんと珍しい品種のものもあるようです。「ほら、これなんか見てごらんよ。夏椿なんて呼ばれているけれど山茶花(さざんか)の一種だよ。でもこれは葉っぱがギザギザじゃないよねえ?」と、帰り際わたしたちを車まで見送りに出てきてくださった際に、(ワタシには)椿にしか見えない木を指さして若杉さんが言いました。白と赤の混じった小ぶりの花をつけた背の高い木です。意地悪っぽく笑っているのは、少し前にワタシが「椿と山茶花って、葉っぱにギザギザがあるかどうかで見分けるんですよね?」と話したからです。「山茶花はね、こうやって花びらがバラバラに散るでしょう?椿は花房がボトリと丸ごと散ってしまうんだよ」と正しい見分け方を教えてくださいました。なるほど、そうか。若杉さんは自然のことは何でもよく知っていて、本当に博士のようです。学者肌なのか気になることがあると数年かけて生態系について調べ上げ、詳細なレポートを作ってしまいます。どこかに提出するためとか学会で発表するためとかではなく、全くもって純粋に自分が気になることを調べるのです。若杉さんが益子のあちこちで地層の中に埋もれていた異なる種類の粘土の層を偶然見つけたのも、あるトンボの分布を調べるために近隣の山をくまなく歩いていた時のことだったのです。

そのあたりのいきさつは、ぜひ昨年の6月にご紹介した本HPの『急須というカタチをした、土の、地球の記憶』という記事を読んでみてください。ワタシタチがどうしてここまで若杉さんの急須を特別扱いするのか、きっと理解していただけると思うのです。そう、手仕事とは思えない程の美しい精密な作り。そこに存在する物体から感じ取れる気迫のようなオーラだけでも十分凄さは伝わると思いますが、それ以上に、その陰に潜む若杉さんがたどってきた険しい道のりに、涙が出るほど切実に胸に迫る重みを感じとっていただけると思うのです。その記事にも書いたのですが、決してそれを知った上で購入してほしいとか、この急須を手に取るからにはそれくらい知って欲しいとか、そういう前情報を与えることが目的ではないことを、どうか理解してください。ただあまりにも重たい現実を目の当たりにして、若杉さんが抱えている危機感や絶望を、もっと多くの人に知って欲しくて、ただそれだけの思いでご紹介しているだけなのです。

消えてゆく原土。最後の一人となった手濾し業者の廃業。さびれてゆく窯業地の生き残りのために書き換えられてゆく伝統。若杉さんの中には次の世代に伝えたいことが湧き出るほどあるのに、それを受け止める担い手がいない。耳を傾けようとしない。

「もう僕も歳だからね。急須なんてそんなに沢山作ったってしょうがないんだよ」とボソリとつぶやく若杉さんはしかし、70歳を目前に少しも精彩を欠いていません。ロクロを挽く手だってきっと0.1ミリたりともブレたりしない。にもかかわらず若杉さんが感じているのは使命感よりも絶望と落胆なのです。そして諦め。商業的成功に重きを置くように見えてしまう益子という土地にも、ペットボトルでしかお茶を飲まない世の中にも。

工房へお邪魔するのは今回で5回目くらいでしょうか。はじめは取りつくシマのないように思えた硬い対応も、最近は心なしか少しだけくだけてきたように思える瞬間が出てきした。作品を見せていただいた後にはご自宅のダイニングで自らお茶を淹れてくださるのがお約束のような感じになってきていて、恐縮しつつもものすごく嬉しいパパろばとママろば、です。その日も、すでにテーブルには塗りの小皿に3人分のお菓子が用意されていて御煎茶を淹れてくださいました。完璧な温度とちょうどよい濃さで。煎茶道の手習いを長年続けられているせいかもしれませんが、それ以上に感じるのは「この人はここに一人で暮らしているんだ。でも自分のためにお茶を淹れる時でも絶対にこうして丁寧に淹れるのだろうな」という確信です。ご自身の湯冷ましにお湯をくぐらせ、タイマーもかけずお喋りしながら適当な頃合いに汲み出しに順に注いで…。

数年前にやはり陶芸家でいらした奥様に先立たれ、広い2階建ての家に一人で暮らす若杉さん。わたしが塗りの小皿が素晴らしいと告げると作家さんのお名前や、その方にまつわるエピソードを話して下さいました。そこからひとしきり、話題は漆についての深い考察まで発展していったのですが、その話のひとつひとつのまあ面白いこと面白いこと。ワタシたちのようにまがいなりにも手仕事に関わっている人間にとっては、お金を払ってでも受けたい、まさに「世界一受けたい授業」のように貴重なお話しばかりです。素晴らしい作品も拝見して、とても豊かな気持ちでお宅を後にしました。その時に椿の話をしてくださったのです。

毎回、若杉さんのお宅を訪ねた帰り道は、ワタシもパパろばも胸に何か大きなつかえのような重しを載せられたように黙って車に乗ってくることになります。もっと力のあるひとなら、それを使命感と呼べるのでしょうか。いつも若杉さんに言われるんです。今回も漆の話をしていて言われてしまいました。

「どんな世界にもね、いるんですよ。変なのがね。売れるものを作るんじゃなくて、作らなければいけないものを作っている、変わり者がね。面白いですよ。そういう奴を見つけてきなさい」

まだまだ若杉さんに向かって「いや、アナタ十分面白いですよ」とは言えないな~。「若杉さん、ワタシたちもっともっと色々なモノを見て、世界を広げていきたいです。ご指導お願い致します!その内お酒持って遊びに行きますからね!」っていつもパパろばとは言ってるのに、まだまだ面と向かっては言えないな~~~(笑)。

と、なんだか誰に向かってお話ししているのだかさっぱりわからない文章になってしまいましたが、とにかく読んだことのない方は『急須というカタチをした、土の、地球の記憶』の中の土祭の記事を読んでみてください。ワタシにはそのくらいしかお願いできません。

これだけ大層なこと言っておいて「その若杉さんの急須やポット、湯冷ましも入荷しております」なんて書いたらそれだけで一気に興ざめな気がしないでもないですが、とにかく実物を一人でも多くの人に手に取っていただかないことには話が前に進みませんので、そこは悪びれずいきますよ。飾り物ではないですからね。美味しいお茶を淹れてくださいね。若杉さんのように、自分自身で自分のために淹れるお茶も美味しく淹れられたら、それはとても素敵なことだと思うのです。

若杉集さんの作品はコチラのページでご覧になれます。

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