これこそ高田谷さん作品の醍醐味、と小躍りしてしまう。”らしさ”を堪能できる喜び。

愛知県常滑で黙々と土をこねる高田谷将宏さん。わたくしママろば、実は一度もお会いしたことがないのですが、四年前パパろばが常滑の工房を訪ねてお会いした時の「おっきくて自分からはしゃべらない人だった」という話が頭にこびりつき、高田谷さんと聞くと枕詞のように「黙々と…」という形容がつきまとってしまうのです。単に初対面だったからだけなのかもしれないのですが…。

その乏しい情報源であるパパろばの主観以外、高田谷さんの人物像を想像する手がかりは作品しかなかったわけですが、その作品が届く度にグイッと手に感じる土の密度や勢いのある釉の流れ、やや大ぶりにすぎる酒杯や飯椀のスケールなどから勝手に「男っぽい」だの「お酒が強そう」だのと少しずつイメージを膨らませてきました。2年前の『やっぱり、ごはん党』ではお米レンジャーが妙なテンションで「男は黙って!」と高田谷さんをご紹介しておりました(汗)。その後はもう、大きなお茶碗にかけられた手の厚みまで感じられるほどに肉付けされ、豪快なイメージが固まってしまったのですが、それらすべては土が焼かれてできただけの作品が与えているのだと考えてみると、ずいぶん乱暴な話ですね(笑)。

実際、高田谷さんをよく知っている木工の宮下さんをはじめ交流のある作家さん、ギャラリーの方などから噂話を聞く機会が増えてゆくにつれ、その寡黙なイメージと言うのは実は根拠のないものだとわかってきました。極めつけは昨年の『豆まめしく』に出ていただいた時で、豆料理に関するアンケートを電話で行った時の記事がもう、最高なんです。面白すぎる…高田谷さん。意識したわけではなかったのに、なんだか今回もお豆料理を盛り付けたくなるタイミングで入荷してしまいましたね。よりにもよって、『豆上手』の終盤に到着するなんて…。

それにしても、いくら自らの手で作られたものであるからといって、作者がどんな人間であるかまで見知らぬ人に勝手に想像されちゃうだなんてはなはだ迷惑な話ですよね。大きなお世話、というか。でも、それこそがモノを作りだすことのできる人の特権でもあり、醍醐味なのではないかと羨ましくも思います。

食卓を囲むその時間をより豊かに、より楽しく変えてくれるようなうつわを作る、そんな素晴らしい仕事ができるだけでなく、なんらかの”らしさ”に価値を見出してもらえるだなんて。遠く離れた見知らぬ町に住む誰かが例えば「高田谷さんらしい」と感じて単なるモノであるはずの作品に愛着を見出し、大切に扱ってくれる。たった一枚のお皿やお茶碗を通して、その人の世界とつながることができる…。そのイメージがたとえどんなに本人の実像とかけ離れていようと、作品に狙うイメージとズレていようと、そんなこと問題にならないくらいに素敵なことのようにわたしには思えます。

だからこそどんなに美しい、一分のスキもない完璧なフォルムを持つモノであってもそこにその人”らしさ”が感じられないものには魅かれないのかもしれません。美しさだけを追求していった先にあるところでは、血の通った世界とのつながりが希薄に感じられるような気がするのです。

パパろばが頼んで送ってもらった高田谷さんの作品を初めて見たとき、正直言って自分の好みとは違った作風のものも混じっていて「パパろばこういうのが好きなのか~」と驚いたことを覚えています。でも、そこには何か明らかに他の人にはない勢いというか、力というか、その時にはまだそれが「高田谷さんらしさ」なのだとはわからなかった、”何か”があったのだと思います。「でも、この縁のあたりの雰囲気は好きだな~」とお皿の一部を指したりなんかしていて、あまり全体像で見ていなかったのでしょう。

一枚いちまいの個体差がとても大きいことや、同じ釉薬でも窯によって仕上がりの色が異なっていたり、飯椀や汲み出しでも形がひとつひとつかなり違ったりする特徴も、高田谷さんざっくりしてるな~、おおらかだなあ程度に見ていました。ただ、納品がある度にパパろばがいろいろと質問をしたり、感想を述べたりするのをものすごく真摯に、前向きに受け止めて取り組んでくださっているという話も聞いていたので、ある種の好感を持ってその個体差を受け止めることができました。

作品を送って頂くたびに説得力を増してゆくその「何か」を単に技術力、精度が上がってきたのかと勘違いしてしまいそうでした。けれど、きっとそうではなかったんだなあと、今回届いた作品を見て深く思い知らされてしまいました。

きっとずっと、高田谷さんは一貫して高田谷さんらしかったのです。

今届いたそれぞれの作品を見ると、そう思わずにはいられません。ずっと前に見てそれに気付けなかった作品と、ここにある作品との間に、そう大きな差があるわけではないのです。それなのに、今ここにある作品には有無を言わせぬ説得力まで感じてしまう。細かい点ばかり気にして、そこに貫かれている彼のもっとも彼らしい点、そこを見ていなかったのだとハッとさせられました。一枚一枚を均一に、同じような仕上がりにしようと気にしていたら、恐らく出せなかったであろう自然な力の方向や、土の個性などをダイレクトに感じとることができます。

今回、これまで見たことのなかった真っ黒な、一見漆仕上げのようにも見える黒い釉薬の作品も数点入ってきました。漆黒の黒さをくっきりと出すために、いったん白化粧をかけてから黒い釉薬をかけているそうで、時折作品にヨレのようにズレて下の白地が見えているものがあります。失敗したかのようにも見えなくもないその破綻が、ひたすらに黒い、墨のように黒い作品にほころびを与え、とても魅力的に見せている。クールな印象の人が、笑った時だけ見せる八重歯やえくぼのように。

二度と同じものには出会えないかもしれない、その一期一会感を大切に、自分だけに語りかけてくる一枚を選ぶ。そんな接し方の方が彼の”らしさ”には合っているように思えます。同じ企画のものを揃えようとか、ひとつ欠けてもまた同じものを買い足せばいいといった接し方は、残念ながら向かないなあというのが正直な感想です。自分だけはオマエの良さをわかっているのだよ、うんうん、というような偏った愛着を持てる相手もなかなか良いですよね。なんだか本当に人間の話みたいですけど。

見るたびにカッコよさを増している三島手や刷毛目の作品は、あえて洋風に使うことも提案してきました。パスタやサラダ、そういった日常的な、でも和食とは呼べないお料理と出会うと、グッと新鮮味を増します。そして今回わたくしママろばもパパろばも、一発で惚れ込んでしまった古陶のような渋い佇まいの白磁。これこそが、高田谷さんの魅力なんだよなと、二人して小躍りしながら作品を紐解きました。

皆さんも、皆さんなりの高田谷さん”らしさ”を見い出していただけると嬉しいです。



高田谷さんの新着の作品はコチラです。どうぞ、じっくりと、彼の無骨な語りかけに耳を傾けるようにご覧になってみてください。

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