とにかく手取りがよいのです。きっとパパろばは目隠ししてたって高田谷さんの飯椀を言い当てますよ(笑)。会場でも、ぜひひとつひとつ手に取っていただきたいと並べ方には苦心しました。

見た目は地味でも、お米がよそわれた途端にお米一粒ひと粒が、より、輝いて見えてきます。毎日食べるお米が美味しそうに見えるだなんて、どれほどその人の暮らしに大きなこと、なのでしょう。


高田谷さんらしさがより現れるものとしては、迫力ある大皿もぜひ見ていただきたいものです。飯椀同様、パッと見には控えめな色合いで地味に感じるのですが、その存在感には圧倒されるものがあります。そして、実際にお料理をよそった時の盛り映え感は尋常ではありません。化ける、と言っては失礼かもしれませんが(笑)。


この存在感とにじみ出る大物感…。そのまま高田谷さんご自身のイメージと重なります。
隠すことのできないひたむきな情熱、焼き物へ一生を捧げる覚悟、気合。大げさでなく、何か”念”にも近いような熱を、そこにただ存在しているだけの一枚のお皿から確かに感じてしまう。
沢山の作品が並ぶ、狭苦しい会場でどこまでその熱をお伝えできるかはわかりませんが、とにかくまずは、手にとってみていただきたい。そこから何か感じていただきたい、そんな風に思ってしまう作品ばかりです。

言うまでもなく全て一点ものです。一期一会の出会いを、頭ではなく掌で手繰り寄せてみてください。
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