作りたい形に適した土を選び、出したい色の釉薬を調合する。それじゃワクワクしないんだ。

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力がみなぎります。ごはんが美味しそうです。

うつわが、食を豊かにするためにあるのならば、究極のターゲットは”食欲”です。洒落ていたり映画のワンシーンの様に優美であるよりも、そこに山盛りのおかずを盛りたくなるようなうつわの方が、本来的な意味で豊かなはずです。

加地さんは話していました。
「なんかさ、のぞいた時にうつわの中身が狭そうに見えるとさ、食べもの盛りたくならないじゃない?」

うつわの内側。そこが広々と感じられること。それはろくろを挽き始めのころ最も気にかけていたことのひとつだそう。だけど今は、何も考えない。

「考えてちまちま挽いてちゃだめだよ。その土の力にまかせて一気に挽きあげないと」

とにかくどんどん作らないと、思考が手に追いついてしまう。考えない。ただ、挽く。とにかくたくさん、挽けるうちは朝から晩まで、挽けるだけ挽くんだと、一緒にいた年下の作家さんたちに勢いよく話していたっけ。

先月パパろばがひとり、超弾丸スケジュールで留寿都村を訪ねました。留寿都はスキーリゾートで有名な高原地帯。蝦夷富士とよばれる羊蹄山の南側です。札幌から車で1時間ちょっととはいえ峠を越えます。関東では桜もすっかり散ってしまったという頃、あいにくの嵐で大吹雪となったその日、あまりの悪天候にほとんど写真も撮れなかったと残念そうに帰ってきたパパろばでしたが、工房で見たおびただしい数の作品群にはひたすら圧倒されていました。工房の棚、凍りついた床を覆い尽くすほどの作品たち。そしてそれはほんの一部で、まだ自宅の2階には山のように詰まれた作品があるのだと。

そのおびただしい数の作品をほぼ全てつぶさに見せて頂きながら、パパろばいわく「めっちゃ集中して」選んできたといううつわたち。今回は、焼き締めの作品がその大半でした。ろばの家はわたしたち夫婦が二人でお店をやっているので「どちらが作品を選んでいるのですか?」とよく聞かれます。また「二人で意見が食い違うことはないのですか?」とも。実は、お店に並ぶうつわのうちほぼ99%は二人合意の上で選んでいます。もちろん選んでいて「へえ~、パパろばそれいくんだ…ふむふむ」となることはあります。でも「え?それ?それはなしでしょ~」となることはまずほどんどありません。今回のようにたった一人で判断を下して選んでくるということは非常に稀なケースで、だいたいは二人で相談して決めているのです。とても尊敬している作家さんの目の前で作品を選ばせてもらうというシチュエーション自体すでに若干プレッシャーがかかるのに、わたしが不在の状態で自分だけの判断でこれだけの数の作品を選ぶというのは、相当の重みだったとパパろばも話していました。

でも、身内を褒めるようで気が引けますが後日作品が送られてきた巨大な(バナナの箱でした)段ボールを開け、丁寧に包まれた梱包をひとつひとつ解いていきながら思わず「パパろばでかした!」と叫んでしまいました。「う~~~ん、どれもよい!!」エラそうな言い方に聞こえないとよいのですが、本当にどれもこれも自分が行っていたとしても間違いなく欲しくなっていたような佇まいのものばかり。見ているとあれもこれも欲しくなってしまいます。パパろばいいぞ~と言いながら山のような新聞紙を片付けていました。ホッとしたように現れたパパろばとは、お互いのお気に入りナンバーワンを指さし合って、毎度恒例王座決定戦。今回は、かなりの激戦でした。

ゴールデンウィーク中に届くように発送してくださったのですが、ご案内までにとても時間がかかってしまいました。この、わたしたちが加地さんのうつわから受け取るチカラを、少しでも写真に収めようと、(パパろばが)相当苦労していたのです。あの、周りの空気から切り取られたような、うつわの内から発せられる”気”のようなオーラをシャッターで捕えられたかどうかはなはだ疑問です。恐らく不可能でしょう。本当なら、皆さんに直にお見せしたいところです。つくば市です。東京からだと、意外に近いですよ。秋葉原から電車で45分で到着です!とさりげなく実店舗の宣伝もしたりして…。一度加地さんのうつわを手に取ってくださった方なら、不完全を宿命づけられた写真からでもある程度の雰囲気は想像していただけるのではないかと思います。

ひとつとして同じ形のものがない、加地さんのうつわ。ゆがんでいる、傾いている、厚みも左右違う。石がはぜている、炎の走った跡が予測のつかない模様を描き出し、一部は金属のように光り、一部は言い表せない色に変化している。この不均衡なカタチが、どうして下手くそに見えないのか不思議です。そこには上手い、下手、という技術的な問いとは違う次元の、意思のようなものが働いているのでしょうね。

昨日、現在益子のstarnet zoneさんにて開催中の森岡成好(シゲヨシ)さん、由利子さんご夫妻の個展『炎のダンス』を見に行ってきました。ギャラリーの方から現在70歳の成好さんが、益子の若い作家さんたちを相手に「毎日挽いてないとね、上手にならないからね。だから毎日挽くんだ」とお話ししていたこと、普通の人ならいっぱい埋めるのが大変な10部屋ある登り窯(一度に1000点以上入る)を「どんどん作って作品の置き場が無くなるので仕方ないから窯を焚く」と表現するのだなどおもしろおかしく成好さん伝説をうかがい、ただでさえ説得力のある力強い焼き締めの作品やユーモアたっぷりのオブジェ、由利子さんの白磁などを、さらに楽しく拝見することができました。すばらしい展示でしたので、機会のある方はぜひ行ってみてください(2017年5月21日までです)。

焼き物でやっていくと心に決めてバイクで全国の窯場を訪ねて回っているうちにとある人に勧められ、誰かも知らず和歌山の森岡さんの工房で出されたカップに雷を打たれたように感動し思わず「修行させてください」と頼み込んでその日のうちに弟子入りしてしまったというドラマのようなエピソードなどは前回もお話ししましたが、加地さんは森岡さんのお弟子さんにあたります。加地さんから、森岡さんご夫妻の素晴らしい人柄について聞かされていたので、ぜひお二人にお会いしたかったのですが、残念ながら在廊日にうかがうことは出来ませんでした。その森岡さんが、70歳だというのにほぼ毎日ブログを更新されているというのです。ギャラリーの方も言っていたのですが、もともとは後に続く人たちに、なんらか自分たちなりに身に着け歩んできた焼き物のいろはを伝える目的で(最近の若い人は誰も聞きにいてくれないから…と)はじめたこのブログ『薪窯作陶雑記』。見ていると毎日ろくろや窯焚きの焼き物仕事だけではなく、自給自足で生きてゆくための雑多な仕事、薪割りに畑仕事、自分たちで建てたという家の修繕作業などの合い間に、実に沢山の遊びに時間を割いているのです。わかめ採りやイワシ釣り、キノコ狩りや山菜取り、胡桃むき。石垣島に行っては土を掘り、ついでに一年分のもずくを塩漬けに。全ては美味しく健やかに生きるため。それら生きるためといえば生きるためのイベントを心底楽しんでいる様子が伝わってきます。

そしてそれらはそのまま、加地さんの生き方とそっくり同じなのです。加地さんは、森岡さんから焼き物のいろはだけではなく、おそらくはそれよりもっと大切な、生きることのいろはを吸収してきたのだと思うのです。楽しめなければ、仕事はつらい。しかし本当に追求したいことがあるならば、どんな長時間の仕事もそれは楽しみでしかない。加地さんは現在、自宅兼工房に自身の作品を一般に公開できるギャラリーを作ろうと改装中で、その仕事も作陶の合い間を見てこなしているそうです。作陶といっても、それは土を掘り出しにでかけ粘土を作り、釉薬のための木を集め木灰をつくり、薪窯用の薪を1年分用意し…という膨大な作業を含んでいます。「展示会3つくらいなら並行してこなさせるでしょう?オーダーはどんどんこなさなきゃ。若いうちはね、受けられる仕事は全部ありがたく引き受けなきゃだめだよ」とも話していたなあ。とにかくエネルギッシュなんです。お酒も大好き。人と話すのが好きなのでしょう。使い込まれてつやつやになった自身の焼き締めの鉢に自分で作ったカレーライスを用意して待っていてくれたそうで、そのうつわがまたカッコよかったあ、とパパろばが回想。そして数々の印象的な加地さんのセリフを、自分自身噛みしめるようにして、少しずつわたしに話してくれました。

「扱いやすい土を使って、ある程度の結果が想像できる釉薬を使い、思い描いた通りの作品が出来るとする、それはそれで否定しない。だけど自分の求めていることではないんだ。そのある程度、っていう領域からはみ出た部分、そこはどう出るかはわからないけれど、そうゆう部分にワクワクするんだよね。」

わたしたちが加地さんに魅かれてならないのは、土と火とが生み出す、人間の思惑を越えて立ちはだかる”予測不可能な偶然性”の前に、無垢な子供のようにひたすらピュアな好奇心だけを武器に「これでもかこれでもか」と、逃げてしまいそうな一瞬をとらえようと格闘する、息をのむほどスリリングな挑戦…その痕跡をうつわの中に見出してしまうからかもしれません。早くしないと動き出してしまう!

わたしたちは普段、そんなことはつゆとも感じず自分の好きなうつわを無意識に手に取っています。何を盛っても美味しそう。何と合わせても喧嘩しない。多少雑に扱っても平気、気を遣わない。タワシでゴシゴシ洗ううち、ゴツゴツした粗肌はだんだんとキメが整い、しっとりとにぶい艶をおびて育ってくる。焼き締めのうつわは、そうやってわたしたちの暮らしの中に長い年月をかけて染み込んでゆくのです。そして加地さんのうつわの魅力は、焼き締めではない作品を見てもさらに深く飲み込めます。勢いのある刷毛目。生き物の様な黒い色。薪窯を使えない冬の間に焚くという石炭窯に入れる釉薬もの。その石炭のごとく、自然界に存在しているような無限のグラデーションを持った表情豊かな黒に魅了されます。これはもう、燃え立つように緑が映えますよ。葉っぱだけのお料理が、草食系だなんて言わせないような力強い食材に見えてしまうから不思議です(笑)。でもこの、美味しそう~!が、生きる源なのでは…。そう、先に述べた究極のターゲット、食欲を刺激してくれるための色、そんな黒なのです。
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わたしたちは毎日、うつわからも力をもらって食べている。学生の頃に旅したインドで手仕事の逞しさに目覚め、焼き物を志したという加地さん。彼の作品はどこか無国籍で、確かにインドやアジアの国のプリミティブな手仕事を連想させます。土の力をダイレクトに感じられるようなうつわたちは、きっとわたしたちに、より逞しく生きる力を与えてくれるのだと思います。

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パパろばがかろうじて工房で撮った一枚。自作の蹴ろくろの前に、作りかけの湯呑みが並ぶ。

加地学さんの作品はコチラのページです。

 

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