日々何を食し何を考え、どう生きているか。鼓動が感じられる、加地学さんの焼き物。

katakutii

「日々何を食し何を考え、どう生きているか。どうしてもそれが形に現れてしまう」

…そんなすごいセリフを聞いてから作品を見つめ直してみてもなお、説得力を失わない。伸びやかな力強さ、生命力、空へと向かう土の勢い…なにもかもが、加地学というひとりの人間の生き様を表しているのだと思うと、はじめて作品を見た時の衝撃は偶然なんかじゃないんだと思えました。

それほどまでに印象的な出逢いでした。その焼き物たちとの、そしてもちろん、加地学さんという人との出逢いは。おそらく今後わたしたちにの生き方にまで、なんらかの影響を与えてくれるであろう大切な一日となりました。わたしたちと同じ北海道のご出身で工房は留寿都村、あまりに情報の少ない人なのですが後から他の方のブログで紹介されていた記事などを見ると、ドラマ『北の国から』さながらの暮らしをされていることも知り、ますます親近感を覚えたということもあります。でも何よりも彼の作品そのものがわたしたちに与えたものが大きすぎました。矜持、というのでしょうか。仕事との向き合い方、そしてやはり自分たちの生き方までも考えさせられました。

「ぜひ会ってみて欲しいんです。」そう言って彼をろばの家に連れてきてくれたのは笠間の陶作家、船串篤司さんでした。「作品も人も、本当にすごいんです。僕は大好きですね」そう繰り返していました。きっかけは昨年の冬に札幌で人気のフレンチのお店で行われた展示会。北海道の作家さん数名と船串さん、Keicondoさんの二人が笠間から呼ばれ、盛況な会となったのだそう。船串さんはその会場で加地さんの作品をひと目見てガツーンとショックを受け、すぐに10点近く作品を買い込んでしまったのだとか。後でそれをろばの家に持ってきて見せてくれました。「使えば使うほどよくなってくるんです。見れば見るほど魅かれるというか…」と加地さんのうつわの持つ不思議な魅力にすっかりはまってしまった様子でした。家ではほとんど彼のうつわばかり使っていると話していました。

「結婚していなかったら今からでも弟子入りしたいくらいです。」…本当ですと何度も強調していた船串さん。でも、ろばの家から加地さんが大きなハイエースで去っていくのを見送ったあと、パパろばまでもが「俺なんて結婚してても弟子入りしたいよ、マジで。」と言い出したので、わたしも負けずに「パパろばと出会ってなかったら惚れてたな」と応酬してしまいました(笑)。でも半分本気でそう思っちゃいましたよ~。カッコよすぎでした。でもぜんぜん気取ってない。お話し好きで底抜けに面白い、気さくで若々しい方でした。痩せてひょろりとしているのにあふれ出るエネルギーは隠せない、そんな勢いがありました。何がそこまで周りの人を惹きつけるのだろうと不思議に思いますよね。でもその答えは、加地さんの作品を実際に手に取って見ればわかっていただけると思います。何にも説明なんかいらないんです。ではどうしてこんなにベラベラ話してしまうのかというと、そうせずにはいられないから。きっと、船串さんが彼をわたしたちに紹介せずにはいられなかったのと同じ理由で、こんなすごい人がいるんだよ!という素朴な驚きを、誰かに伝えたくなってしまっただけなのだと思います。

「ハンマーで頭を殴られたみたいだった」とパパろばは加地さんがハイエースから作品を出して並べた瞬間のことを話すと「僕もです。作品見てショックでした。なんなんだろうこの存在感は…って。」と船串さんも続ける。どこまでもついて行きます!!状態の二人を横目に、ろばの家の大きなテーブルに並んだ作品をひとつひとつ手にしてみる。ゴツイにはゴツイのだけれど、なんともいえない愛嬌もあるというか、横から見たりすると形が真面目すぎずひょうきんです。

岩場に転がる石のように頑丈で硬く焼きしまった強靭な焼き物であることは一目瞭然です。ひとつひとつが、それぞれ意思を持った(石だけに?)独立した生命体のよう。粘土細工をコマ撮りしたクレイアニメーションさながら、ニョキニョキと地面から盛り上がって出来上がった形のようで、今にも動き出しそうです。そういえば、どんな作品を作りたいのかという話の中で「昔、写真家の土門拳が仏像を撮るときに”早くしないと動き出してしまう!”と言って急いで撮影していたという話を聞いて鳥肌が立った。そんな焼き物を作ってみたい。…うつわが動き出すわけないんだけどね」と少し照れたように笑っていたのが心に残っています。加地さんのうつわから感じる、裏山から掘り出してきたばかりとでもいうような新鮮な土の手触りや生命のあたたかさ、口を開けて笑い出しそうな愉快なカタチ…なにもかも、生きるパワーの象徴に思えてきます。

「こういうのでメシ食わなきゃダメだよ、お前ら」。小学3年生の女の子を筆頭に3人のお子さんを引き連れ「お前ら好きなの1個ずつ選べ」と加地さんの棚の横に立ったお父さん。お店によくエスプレッソを飲みに来てくれる近くのパブのオーナーで、裸足でフルマラソンを走ることでも有名なアスリートです。いつもは特にうつわだけをじっくり見ていくわけではないのにいきなり「なんですかこれは?」と加地さんの作品を指さしたのです。「なんか、すごいパワー感じるじゃないですか。土に根を張ってる、みたいな…。」と驚きながら自分と奥さん用に二つお椀を選んでくださった、その翌日のことでした。小さな子供たちにこんなゴツいの…と思っていましたが、彼らは嬉しそうにそれぞれ気に入ったひとつを選び、小さな手にしっかりと握って帰ってゆきました。確か玄米食だと聞いたことがあるので、今夜から5人みんなで加地さんのお椀に玄米をよそって食べることになるんだなあと想像。本当に身体の底から力がわいてきそうです。ただでさえいつも元気いっぱいなのに…(笑)

加地さんのうつわは本当によく焼き締まっていて密度を感じるので「やはりそれは窯の温度や時間の長さが関係していて、どれだけ圧力をかけられるかという点がポイントなのですか?」と尋ねると「それももちろんあるし一般にそれが原因だと考えられているけれど、それだけじゃないんだよ。」と説明してくれました。ろくろの時からきっちり引き締める。その全ての行為に”どれだけ込められるか”なのだと言い「込めるといっても力を入れるという意味ではないよ。」と教えてくれました。そのとき「そいつが何を食べ、どういう暮らしをしているか、それがどうしたって出てしまう」という話になったのでした。「だからそうあれるよう、常に心がけてはいるつもりなんだけどね。」そう話している横で船串さんが「なんか、ろくろ挽きたくなってきました」とそわそわしているのを見て、なんだかこの人たち青春だ~と思ってしまいました(笑)。熱血陶芸漫画のワンシーンを見ているようでゾクッとしましたよ。そんなのあるかどうか知らないですけど。

本当は、その日ほぼ半日かけて本人の口から面白おかしく話していただいた、加地さんを生きた伝説たらしめる数々の逸話もご紹介したいのですが紙面が(スクロールが、というべきか)いくらあっても足りません。日本全国をバイクで旅しているうち和歌山の陶芸家、森岡成好さんの工房で出されたコーヒーのうつわに感動してその場で弟子入りを申し出たこと。運命のいたずらかその日に阪神大震災が起き帰ろうにも帰れず、結局そのまま修行に残ってしまったこと…などなど。ほかにもドラマチックなストーリーが次から次へと飛び出していました。後日、北海道の作家さんから学生の時はインターハイにも出場したボクサーであったこと(加地さんにお会いした時の第一印象は和製スタローンでした!気になる方はFBの記事を…)や、携帯やメールも持たず、コミュニケーションはほとんど書簡によるものであることなども聞いて、さらに納得です。そんな彼が瀟洒で繊細なレリーフの施された作品をそっと取りだしでもしたら、卒倒していたかもしれません。

若いころにインドを旅して手仕事の逞しさに目覚めたという加地さん。そこから彼の陶芸への道ははじまったそう。生きることは食べることです。土が本来的な役割として備えているような、生命力を感じられるうつわ。「こんなうつわで飯食ったらさ、元気でそうじゃん」そう言って彼のうつわを手に取ったひとがいたことを手紙にしたためたら、彼ならきっと喜んでくれる気がします。

そしてわたしたちはといえば、そんな瞬間に立ち会えることが何よりも嬉しくてこの仕事を選んだのだと、加地さんと出会ったことではっきりと認識できたのでした。自らを”焼き物屋”と呼ぶ加地学さん。彼のような人と同時代に生き、実際に彼の手から生まれた焼き物を誰かに手渡せる機会に恵まれたことに、この特別な出会いに、心から感謝します。

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加地学さんのページでぜひほかの焼き物もご覧ください。

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