生きることは食べること。もりもり力が湧いてくる飯碗。


力がみなぎります。ごはんが美味しそうです。「生きることは食べること。」…うつわが、食を豊かにするためにあるのならば、究極のターゲットは”食欲”であるはずです。

加地さんは話していました。「なんかさ、のぞいた時にうつわの中身が狭そうに見えるとさ、食べもの盛りたくならないじゃない?」うつわの内側。そこが広々と感じられること。それはろくろを挽き始めのころ最も気にかけていたことのひとつだそう。だけど今は、何も考えない。「考えてちまちま挽いてちゃだめだよ。その土の力にまかせて一気に挽きあげないと」そうして生まれる土の塊は、ふたつと同じものがありません。まるで今地面から這い出してきたような躍動感。今にも動き出しそうです。

実は冒頭の焼しめの飯碗も上の写真のものも、めし碗としてはかなり小ぶりなものの部類に入る大きさです。でも、とても大きく見えるから不思議です。加地さんのうつわは、みんなそうなのです。どんな作品を作りたいのかと聞いた時「昔、写真家の土門拳が仏像を撮るときに「早くしないと動き出してしまう!」と言って急いで撮影していたという話を聞いて鳥肌が立った。そんな焼き物を作ってみたい。…うつわが動き出すわけないんだけどね。」と少し照れたように笑っていたのが心に残っています。

「日々何を食し何を考え、どう生きているか。どうしてもそれが形に現れてしまう」そう言い切っていた加地さん。その言葉を裏切らないように日々真剣に生きる。北海道の中心、羊蹄山にもほど近い留寿都村に工房を構える加地学さんは、作陶以外にも自身で山に入って木を切り倒し、薪窯と自宅の暖房を賄うための1年分の薪の確保や工房の修理など、田舎暮らしにつきまとう生活のための膨大な仕事を早朝から暗くなるまで一日中忙しくこなします。それでも朝目が覚めると「ろくろが挽きたい!一刻だって無駄にできない。」と、工房へ飛んでゆくのだそう。そのうつわの持つ力強さから想像される人間像をそのまま、いや2乗したくらいのタフさを備えたパワフルな人物なのです。お酒も大好き、人と話すのも大好き。加地さんの周りは常に笑いが絶えません。

作品の持つ、内側からあふれ出てくるような生命力は、加地さんご本人とお会いすればすぐに納得がゆくはずです。一時も立ち止まらず、常に前を見ている。いまこの一瞬を真剣に生きることの尊さを、本当の意味で知っている。ワタシたちが普段なかなか意識することのできない、大切な何かをうつわの中に閉じ込めておいてくれるのです。

「気がついたら加地さんのうつわばかり手にとってしまう。毎日、ほとんど加地さんのうつわで食べちゃってますね。」と告白するのは笠間の船串篤司さん。ワタシたちに加地さんを「ぜひ会って欲しい人です」と紹介してくれたのは彼でした。「結婚していなかったら今からでも弟子入りしたいくらい」と加地さんにぞっこんベタ惚れの船串さんは、はじめて作品を見た時ガーンとハンマーで打たれたようなショックを受けたといいます。魔法にかけられたようにその魅力に憑りつかれてしまい、見れば見るほどどれも良く思えてきて困る、と。そして気がつけばワタシたちも、沢山ある中からつい加地さんの飯椀にお米をよそってしまうのでした。

生きている土を生きたままでカタチにする、加地さんの魔法の手。そう、加地さんのうつわを手に取ると元気が出るのです。

加地学さんのページはコチラです。

*加地さんについてはこのHPで何度もご紹介してきました。ちょっと?暑苦しいですがよろしければ関連記事も見てみてください(こちらの記事と内容が重複している箇所もあります)。

2017年4月の記事日々何を食し何を考え、どう生きているか。鼓動が感じられる、加地学さんの焼き物。

2017年5月の記事作りたい形に適した土を選び、出したい色の釉薬を調合する。それじゃワクワクしないんだ。

2018年4月の記事「明日死んだとしても悔いはない」毎回そう思って轆轤に向かうんだ。

この記事をシェアする
Share on Facebook
Facebook
Tweet about this on Twitter
Twitter
Share on Google+
Google+

関連記事