『加地学 船串篤司 二人展』第一弾K
パワーの塊。使い込んで落ち着いた頃がちょうど良いかも。

加地さんの作品は写真に撮ると全部、実物より大きく見えてしまう。できるだけ実物に近いサイズに見えるよう、余白を多めにとって調整しなければなりません。上のお皿は直径10cmもないのです。9.5cmくらいかな。近寄って撮影してしまうとその小さなはずのお皿の中にいくつもの表情があって、どうしたって広がって見えてしまう。
実寸のイメージに近づけるなら、このくらいで撮影しなければならないんです。でも、こんなに小さく映しているのに、すでにもう、何か語りかけてきませんか?

「北海道の加地で~~~~~~す!」

と、馬鹿デカイ声で叫ぶんです。電話の受話器を思わず耳から離してしまうほど大きな、というよりよく響く声で。

「あの加地さんが携帯電話を持ってしまったらしい」というニュースが走って、最近業界がざわついたそうです(笑)。加地さんといえば、携帯もナビも持たず、いついつの何時に、と約束しただけで、ボロボロの日本道路地図を積んだハイエースで日本のどんな場所にでも時間通りに現われる…あわよくば早く到着して山をひとっ走りしてから現れる、という伝説の持ち主。スマホでなくガラケーだったと知っても、衝撃は衝撃です。あの、カッチーマジックとしてろばの家に語り継がれるハイエースから何でも出てくる事件の時には、本当にハガキだけで約束を交わしていて現われたのですから、加地さんも随分デジタル化したものです(笑)。

それでも「加地で~~~~~~~す!」の勢いは変わりません。わたしたちはその声を、どの作品からも聞き取ってしまうのです。
この鉢も、ものすごく「加地で~~~~~~~~~~」すよね?これでも直径15cmくらいです。汁椀、程度でしょうか?うつわの中から、何かが飛び出してきそう。

中を覗き込むと、もっと広々、さらに大きく見えてきます。この、惑星の地表のような凹凸を持つ黒いうつわの表面は、実は硯に使われる石を粉に挽いたものを吹き付けてブクブクに泡だったところを後から削ったもの。白の対極にある黒という概念。その黒色の深さを追求したくなった加地さんが、もっともっと黒々とさせたいと試行錯誤して生みだした手法だそうで、溶岩のようにザラザラの粗い表面のものもあります。
実はこのシリーズ、前を通る人がみな「わ、何だこれ」と足をとめてしまうほど目立っているのですが、中には「これ、どうやって拭いたらいいんですか?」と聞いてくる方もいました。加地さんは笑って「あ~、布だとダメになっちゃいますからね。自然乾燥で大丈夫ですよ」とものともしません。ははは。ウチでも加地さんのザラザラした作品は拭き上げずにポンポンと水気を吸い取る程度。とにかくガッチリ焼き上げていて頑丈なので、洗ってそのままザルに立てかけておこうがガチャガチャと積み重ねていようが、へっちゃらなのです。あ、スポンジなんて使いませんよ。束子が一番です。スポンジ、削れちゃいますからね。

そして加地さんのうつわは使い込むとだんだん油が浸み磨かれて、ザラザラした面も滑らかにしっとり落ち着いてきます。どんどん風格が増してくるのです。そうなったくらいの方が、妙に目立ちすぎることもなくテーブルでもバランスが良い。おろしたてだとあまりに存在感が強くて、うつわばかり主張してしまうんです(笑)。つまり、使い込んで落ち着いてきたくらいがちょうどよいということ。そのくらい「加地です」度が高い。

今回届いた黒い釉薬のうつわは全て、石炭窯で焼き上げてあります。石炭窯で焚いたものは同じ釉薬でも薪窯の時と発色が違うのだそうで、やはり鉱物ならではの鈍色…マットであっても鈍く反射する、この独特の質感がそうなのかな、と思います。作品自体が石炭のように見えるものもあり、表情豊かです。


お店に立ってくださっていた2日間は、お客さまに石炭窯のことについていろいろ聞かれ、説明していました。日本ではおそらく石炭で陶器を今でも作っている人は加地さんくらい。どんどん石炭も採れなくなっているので、最近ではその入手先を余市のニッカウヰスキー(世界で唯一の石炭直火焚き蒸留)まで尋ねに行ったことなど、アレコレ教えてくださいました。40年以上も絶えてしまっていた石炭窯。燃料価格の高騰もさることながら、排煙の問題などさまざまな困難をかかえ、また技術・体力的にも決して扱いが楽ではないその窯、技術を、絶やしたくないという思い。現在ではポーランドと中国の一部で石炭窯が続いている場所があるので、来年はなんとかポーランドに行きたいと願っていたら、親戚のまた親戚がポーランド人の嫁さんをもらったと聞いて歓喜した。願えばかなうんだね、と豪快に笑っていました。

まだまだ石炭窯は改良の余地があるそうで、2年先に引っ越すことが決まっている現在の留寿都村から移動する際には、もっと攻めた作りの石炭窯を築きたいと話していました。結局、伝統的に受け継がれてきた窯の造りというのは「安定性」「効率」を重視したものだということが実際にやってきてだんだんと理解できてきたのだそう。

「俺、安定、求めてないんだよね。いいものが、作りたいんだよね」と、ゆっくりかみしめるように語っていました。

加地さんの言う”いいもの”とはどんなものなのでしょうか。

以前、加地さんと初めて酒を酌み交わし、語りあった夜に聞いたお話を思い出しました。

「山に入って自分で木を切り倒しているとね、どうしたって胸に迫るモノを感じちゃうよね。俺なんかより長く生きてきたような樹齢の高い木がさ、ズーンと倒れてくるところを見たことあるかい?手を掌わせることしかできないよ。あんなの見ちゃうとさ、下らないもの作ってちゃ申し訳ないって本気で思うのさ。」

独立が決まり、加地さんの師匠である森岡好成さんのところを発つ日、師匠から最後に「まず、硬く焼こうか」と言われた、と先週、茨城空港までの車の中話して下さいました。

その日、埼玉のギャラリーさんから加地さん宛にお菓子が届いたからその話になったです。そのギャラリーはもともと老舗のフレンチレストランからスタートしたお店で、創業50年にもなる歴史のあるお店。その系列の洋食屋さんで師匠の焼き締めのうつわが使われていて、恐らくは最低30年以上使い込まれているはずだと。加地さんがそのお店で出て来たお皿を見た時、言葉を失ったのだそうです。

「お店でさ、毎日毎日ステーキとか盛られて脂が浸みこんで、何度も洗いこまれて、もう色なんかないよね。それ見た時、なんか感動してさ。これが、うつわだよな、って思ったんだよね。」

50年、100年、生き残るうつわ。形や色、デザインを超えて、残ってゆけるもの。まずは丈夫につくらなきゃ、話にならないよね、と。「加地学という人間が存在しない世界にも、うつわは残る」というセリフが頭に浮かびましたが、飲み込んでしまいました。

ひゃ~~~加地さん、スケールでかすぎです!

…さてさて、お待たせいたしました。加地さんの作品も、小さなものから先にご覧いただけますよ。もう少し大ぶりの鉢や大皿、小さくても酒器やカップなどはもう少々お待ちくださいね。

◎『加地学 船串篤司 二人展』加地学さんの作品はコチラです。


同じ黒でも、下は釉薬ではなく焼き締め(無釉)の黒。薪窯。

今回届いた焼き締め以外の釉薬ものは全て石炭窯。今にも動き出しそうな、生き物のようなうつわた達。


 

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