momento poeticoDM裏話。詩的、でいくかロマンチックでいくか…。

この、昆虫の羽のようなピンク色の薄い種子。正確には翼果(よくか)とよばれる2枚組の羽のような形状の先端に内包されているのが種なのです。実は、ろばの家のパーキングの前で皆さんの駐車を妨げている街路樹の種で、ひらひらと旋回しながら舞い落ちる様子がそれはそれは美しいのです。毎年ゴールデンウィークが明けた頃に散りはじめるのですが、今年は殊更に種の色が鮮やかに感じられました。本当に今年だけ特別に鮮やかに色づいたのか、それとも単にこれまでは意識していなかっただけなのか、ちょっとわからないのですが。外に落ちているものはすぐに色褪せて茶色になってしまうので、6月まで鮮やかな色をキープできないかもと心配になり、試しに冷凍庫で保管してみました。見事に散った時と同じ色合いを保ってくれたため、会場のディスプレイに使用しています。見かけたらぜひ一枚手に取って、ふわりと放り投げてみてください。この世のものと思えないほど優雅に幻想的に、それこそ詩的に、螺旋を描きながらゆっくりと着地するのです。

                画像上:境知子さん 白磁面取り台皿

画像上:渡辺隆之さん 砂鋳込み皿各種

モミジの種も同じ構造ですがこれよりもっと小ぶりで、調べてみるとこれはトウカエデという樹の種子のようです。実はこの「トウカエデ」という名前を調べるのが大変でした。「ピンクの種 街路樹」「ひらひら舞う種」など検索しても全くヒットせず、赤色の花の街路樹の画像ばかり表示されるのでした。困っていたら横からパパろばが「これじゃない?」とあっさり候補を表示するので驚きました。単に「くるくる落ちる種」と検索したようです。どうやら”街路樹”というワードが余計だったようなのです。知りたいことを的確に検索できる能力というのは、Google世代にとってはエクセル能力以上に重要な技能なのかもしれません。

その時見つけた「くるくる回って落ちるカエデの種子」という記事がとても面白かった!そのページには「カエデの種子が滞空する原理は、実は密を吸うために空中でホバリングするハチドリや飛翔するトンボの原理と全く同じで、回転するときに羽に発生する小さな空気の渦(翼端渦)のおかげで、羽の上方の空気圧が下がり、羽を吸い上げるのです」とあり、ずいぶん専門的な内容だなあと感心しながら続きを読むと、東北大学の教授を代表とするネイチャーテック研究会によって運営されているサイトでした。「ネイチャーテックとは、従来型の科学アプローチとは異なり、すでに地球史の中で限りない検証と淘汰が行われた、完璧な自然の循環を科学の眼で観て、人間にとって必要なものをリ・デザインすることによって、地球への負荷をとても小さくすることができる、まったく新しいものつくりや暮らし方を提案しようとするものです。」とあり、他にも興味深いコンテンツがわらわらと並んでいたのですが、また話が大きくそれてしまうので興味のある方はサイトをご覧くださいね。

自然の営みの中では、人間が想像も創造もできないようなドラマティックなシーンが特に感慨もなく黙々と繰り広げられていて、ワタシたちはたまたまそれを目にして”詩的”と解釈したり、勝手に「ロマンチックだなあ」とウットリしたり、ウットリしたかと見せかけてそのムードをよこしまな願望に利用したり、まあ人間も人間の営みに精一杯いそしんでいるわけです。

ところで詩的って、どういうことなんでしょうか。詩的、というからには”詩”というものがどういうものか、ということを先に考えることになるわけですが、ちょっとわたしには手に負えない込入った問題な気がして、本屋さんを営むほど文芸の世界に身を置いている方にお任せしてしまいました。ただ、”詩”というものを定義して、それをそのまま「~のような、~らしい」と言い換えたところで”詩的”という言葉から受けるイメージと食い違ってしまう気がします。ちょうど、”ロマン”  と ”ロマンチック” という言葉から受ける印象の間にギャップが生じるように。ところで ”ロマンチック” と ”ポエチック” という言葉は類義語に分類されるようですが、ロマンチックが”現実離れした甘美で理想的な雰囲気や成り行きであるさま”を指すのに対し、ポエチックは詩的と訳され単に”詩のおもむきがあるさま”という意味*で使われるとあるので、詩的=甘いということにはならないところが気に入っているものです。本当にただの自己満足だなあとは思うのですが。

今回は、企画段階の途中で急に”詩”というワードが飛び込んできてしまったため、参加が決まっていた作家さんからしてみれば寝耳に水、唐突なテーマと思ったのではないでしょうか。はじめは「ささやかなモノ展」という仮題だったからまだ”詩”というワードの周辺に居られたものの、そのうち「役立たず展」だの「うつわじゃない展」、挙句の果てには「使えないもの展」とまで内輪で呼ばれ始めていた矢先の急展開。そこから”詩的=ポエティコ”への飛躍はほとんど乱暴といってよいこじつけぶりです。ベッカライさんでふと立ち読み(PEOPLEの植田さんごめんなさい…購入したからいいかな?)した、寺田寅彦さんの『柿の種』の1ページ目をめくったところで、そのワードがひらめいてしまったのでした。それがまさに、トウカエデの翼果がひらひら舞い落ちてきた頃と重なったというわけです。

はじめタイトルは、『ガラスの穴』しかありえない、とまで思ったのですが、あまりにもガラスという素材だけを連想してしまうタイトルかも、という理由で却下。そこからなぜかモメント・ポエティコ(=詩的瞬間)まで三段跳びで飛躍してしまうからには、相当舞い上がっていたとしか思えません(笑)。ただ、寺田さんの一節を読んで”詩”というワードが企画と結びつき、それが”必要不可欠ではないけれど価値を持ち得るもの”というコンセプトとして明確に浮かび上がった瞬間に、窓の外をひらひらとトウカエデの翼果が舞っていたという偶然に、どうしたって気持ちは高揚してしまいました。何もかもがおさまるべきところに収まってくれた、そんな安堵感さえ覚えました。もちろん「やっとDMのモチーフが決まった!」という喜びも、正直ありましたけどね。トウカエデの翼果がふわりと着地するのを見ている間に、心の中に生まれた静かで小さな空間がじんわりと広がってゆくような安堵感。恐らくわたしはそのとき、”ガラスの穴”をくぐり抜けることができたのだと思います。残念ながらすぐに慌ただしく騒々しい、こちらの世界に呼び戻されてしまいましたが。

そんな風にして、momento poeticoのビジュアルイメージはどんどん固まっていったのでした。いったんそうやって展示のコンセプトが決定してしまうと、後はもう作家さんが出展してくれた作品たちを手にしただけで自然に空間のイメージが膨らんできて二人とも夢中で作品を会場に配置してゆきました。遊びながら、でも、どうしたらもっと”詩的”に見えるだろうかと頭を悩ませながら。もちろんイメージした通りの空間が出来たわけではありませんが、楽しんで並べられたことに感謝しています。願わくば、ここでで出会うシーンやささやかなモノたちが、皆さんのガラスの穴を見つけるきっかけとなってくれますように。

*今回の記事は、前項目で引用した『柿の種』の一節を読んでいただいている前提で書かれています。できれば、そちらも合わせてご覧いただけると嬉しいです。
*現代国語例会辞典 第五版(小学館)より

 

                            DM 表面

DM 裏面


 

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