『ふへんてきな日常』というタイトルにこめた思い

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5月の行事についてのお知らせです。27 日(金)から6月5日(日)まで、益子で作陶する渡辺キエさんの個展を行います。

『ふへんてきな日常』というタイトルは、わたくしママろばが、ほとんど勝手に決めました。

DSC_4369もう何回写真を撮ったか、数えきれないほど繰り返し食べているサンドイッチ。お向かいのパン屋さん、ベッカライ・ブロートツァイトさんのもの。オーダーが入ってからパンを切り、その場で新鮮な無農薬のお野菜や素性のわかる原材料でつくられるチーズ、天日塩…細部までとことん気を遣って丁寧に作られています。でも、メニューのどこにも、そんなことは書いていないのです。

黒板に書いてあるのは″モッツァレラとトマト、ルッコラのサンドイッチ”というチョークの文字。組み合わせるパンによって価格が違うので、その価格表示があるだけです。その他のサンドも同様。少し待たされてから、何の飾り気もない紙に包んで渡してくれます。

何度かパンだけは食べたことがあって一度行ってみたかったと、キエさんがろばの家に立ち寄ってくださった時にベッカライさんでお買い物をしていきました。数日後、電話でその時のことをやや興奮気味に話してくれたのですが、いつになく真面目に熱く語っていたのでビックリしてしまいました。

「あの店に入って中を見渡した途端、ああ、わたしはこういう器を作りたかったんだなあってわかった気がしたんです」

「へ??」最初は戸惑いました。オシャレで可愛らしい器でも、美を追求した造形物でもなく、本質的な用の美に徹したうつわ…という意味だろうか??そのとても意味深なセリフの真意はその場で深く説明してもらえなかったので、本当のところどういうつもりでそう言ったのかすぐには理解できませんでしたが、そのセリフのニュアンスにだけは妙に納得させられたというか、説得力を持って心に残ってしまいました。

ベッカライさんは、特にしゃれたパッケージを用意したり、だれだれさんの~といった”こだわり”を書き連ねるようなことは一切しない、どちらかと言えば愛想の無いお店です。必要最低限、といった簡素さ。スタイルなんてどうでもいい、という潔ささえ感じられます。肝心のパンさえ美味しく出来ていれば後のことはそれほど重要ではない…恐らくはそのシンプルなスタンスが、キエさんの心に響いたのではないかと思うのです。

「よく、キエさんの作品って北欧風なんですか?とか、オシャレで洗練された感じですよね~とか…何か違うよなって違和感を感じていたんです。」とも言っていたように思います。それからしばらくしてキエさんの工房にうかがった時「例えばオシャレな暮らしをしようというような余裕なんてない、仕事に追われて忙しいような人に手に取ってもらいたいという気持ちもあった」というようなことも話していて、だんだんあの「ベッカライさんのようなうつわ」という、謎めいたセリフの意味がつかめてきました。

だからと言って、質実剛健な、実用本位なものを作る、という意味でないのはキエさんのうつわを見ていればわかります。全てはその姿勢の部分にあるのだと思うのです。キエさんとは工房でもいつもふざけた話ばかりで、政治家の悪口や野球の話(ものすごい阪神ファンなのです)、愛猫の話を面白おかしく話して終わってしまうことが多いのですが、一度そんなふざけた話をしながら「そうなんですよ、野球の中継をラジオで聞きながら、こんな工房でうつわをせこせこ作って世界の平和を祈ってるんですよ。誰にも通じませんけどね」となかば自嘲気味に笑っていました。

特別な日のためではなく、毎日食べ続けてもらえるようなパン。そのひとの身体の基礎となるものだから原材料にもっとも気を遣い、丁寧に、心をこめて作りたい。毎日同じことを繰り返しているように見えて、本当は違う。今日は昨日より、明日は今日より、もっと、もっと美味しく作れるように。よりよく変わってゆけるよう、考え、工夫して毎日粉に向かう。型物の磁器という、同じ作業の繰り返しのように見える作りをしているキエさんだからこそ、より一層パン屋の作業というキツイ労働の中で、意識を高く保てることの尊さを見てしまうのかもしれません。余計な枝葉を払い、本質を見極める冷静な目。何が本当に大切なことなのか…。

…ここまで大げさにではないですが、キエさんがこんなこと言ってましたよ、と菅原さん(ベッカライさんのオーナー。パン職人)に話したら、「不愛想なところがウケるんですかね」とかなんとか、照れて話をはぐらかしていました。…ん?この二人、似てる…。

せっかくなら、キエさんと菅原さんにからんでもらいましょう。ということで、現在会期中になにかベッカライさんのパンもからめて二人の世界の交差するところを皆さんにも感じてもらえないかな、とイベントを企画中です(難しい命題だあ~~~。どないしよ( ゚Д゚)!)。DMも近々発送予定なので、もう少しお待ちくださいね。

『ふへんてきな日常』という言葉は、ふへんてきに、変わらずそこにある日々、という静的な意味だけで選んだのではありません。当たり前のように訪れる毎日。でもその平穏な一日がどれほど貴重なものであるかを、人は忘れがちです。失ってみて、失いそうになってはじめて気が付く、大切でいとおしい、平凡で穏やかな日常。その日々が少しでも健やかで、愉快なものになるようにと、日々手を動かし、黙って世界の平和を祈っている人たちが存在するのです。

今日も一日、幸せだったな。明日はどんな素敵な日が待っているんだろう。

そんな風にわたしが眠りにつけるとき、きっとわたしの周りにいるひとにも、その穏やかな気持ちは伝染する。その小さな安らぎの連鎖があちこちで起こってくれれば、世界はその分だけ、ほんの少し平和になる。その平和の連鎖がもっともっと広がれば、きっといつか、戦争だってなくなる日がやってくるかもしれない。諦めてはいけないのだ。人は、望めばきっと分かり合える。ママろばだって、たまにはこんな真面目なことを考えてみたりする日もあるのです。ろばの家の隅っこで。

今日も一日、お疲れさまでした。…って、ずいぶんゆったりした(気持ちだけでなく実際にも)一日だったなあ~~~。こんなのんきにしてる場合じゃないだろと、怒られてしまうかもです(笑)

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